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松山市男女共同参画推進条例を読み解く(1/2)

【なでしこ通信18号付録】
平成19年9月1日
ジェンダーフリーを鍵にして
松山市男女共同参画推進条例を読み解く
健全な男女共同参画をめざす会

はじめに
 本会は、愛媛県と松山市の男女共同参画推進条例およびその他の県下自治体の同類条例を改訂しジェンダーフリー色を除くことを目指して、運動を続けている。会員の方々はもちろん運動の趣旨に賛同しておられるのであるが、それらの条例を念入りに読まれた方は少ないであろう。松山市の男女共同参画の推進の在り方については、条例によれば来年検討し直されることになっているので、今が一度条例を詳細に読んで、問題点を洗い出しておく好機ではないかと思われる。

 たかが読むことくらいと思われるかもしれないが、実はそれはなかなかの難事である。というのは、条例文にはジェンダーフリーの一般向け隠語が含まれているからである。「ホシ」だとか「デカ」などという警察内での隠語は、今では刑事物テレビドラマでお馴染みだが、もし隠語であることを知らなければ、それを「星」だとか、「大きい」と本当に思い込んでしまうようなものである。字句通り読んで解釈できるなら隠語など無視すればよいと思われるかもしれないが、安易に考えてはならない。施策の実行に当たってはその隠語の正体が表に出てきて、知らず知らずのうちにジェンダーフリー市政が行われ、市民が迷惑するからである。重ねて言うが、条例は常識的に読んではならない。不幸なことだが、猜疑心をもって読まなければならないのである。

 大局的に見て重要なことは、ジェンダーフリーは一思想であり、一学説にすぎないということである。国民や市民に周知せずに、特定のイデオロギーに基づいて行政を進め、また学説を広めることは、思想信条を強制することであり、民主主義社会の根幹を揺るがす大問題である

 以下では、ジェンダーフリーをキーワードにして松山市男女共同参画推進条例を読み解くことにする。


[註]ジェンダー、ジェンダーフリー、フェミニズムおよびフェミニスト

 大学時代にドイツ語を選択した方はよくご存知であるが、ドイツ語の名詞には男性、女性、中性の3種類ある。名詞の性が違うと冠詞まで異なるのだから、当然多くの学生が苦労したはずである。ジェンダー(gender)とは、もともとこのような「文法上の性」のことである。しかし、この文書に出てくるジェンダーはそれとは違い、「社会的文化的に形成された性差」という意味である。男らしさや女らしさはその例である。ジェンダーフリーとは「ジェンダーを無くすこと」あるいは「ジェンダーがないこと」を意味する。なお、ジェンダーフリーはジェンダーとフリーを組み合わせてつくった日本語である。

 ジェンダーフリーを主張する人たちをフェミニスト、そのような考え方をフェミニズムと呼ぶ。女を大切にする男がフェミニストなのではない。世界標準のフェミニズムでは、生物的性差でさえジェンダーによって形成されると考えるらしいが、余りに突飛すぎて理解できないかもしれない。分かりやすく言うと、生まれるときにどうであろうと、男として育てれば男に、女として育てれば女になるということである。そうすると男と女の区別は生後社会的に作り上げられるわけだから、ジェンダーがなくなった理想の社会では、男と女の区別は解消され、世の中には男でも女でもない中性の人だけが存在するのである。

 日本のフェミニストはそこまでは徹底できず、2種の性を区別しているらしい。


[参考]米国憲法修正案に隠されたジェンダーフリー用語

 ジェンダーフリーの一般向け隠語と言われても、まだ半信半疑かもしれない。そこで、フェミニストが1970年に提案した3箇条の修正条項から成る米国憲法修正案の第一条を紹介しよう。それは次のように述べられている。

「法の下の権利の平等は、性別を理由にして否定し、あるいは制限されてはならない」。

 米国上下院議員はこれを常識的な男女平等を表現したものと思い込んで、簡単に修正案を可決してしまった。しかし、注意深く読んでほしい。文字通りに読めば、「性別を理由に平等を否定も制限もしてはならない」すなわち「男女は絶対的に平等である」と書いてあるのである。

 そもそも男女平等とは、男女の特性の違いを考慮し女に免除の特典などを与えて優遇するという前提でなりたっていた。たとえば、米国では女は徴兵を免除されており、志願兵でも前線の戦闘には出ない。そのため、米国の国会議員は修正案の非常識さに気付かず騙されたのである。日本の国会議員は米国の経験に学ばず、というよりそれを知らないまま、男女共同参画社会基本法を易々と成立させてしまった。それは、外務省の役人が情報を隠して国会議員に教えなかったからだとも言われる。

 なお、米国憲法修正案は、州の批准の段階で賛成する州の数が必要数に達せず、最終的には成立しなかった。米国のこの経験は、法律や条例の条文は常識的に読んではならないという教訓でもある。



1.男女共同参画社会基本法、基本計画、愛媛県および松山市の条例

 松山市男女共同参画推進条例は平成1574日に制定され、同年1226日に改正されている。ここで読み解く対象は改正後の条例である。そこには「ジェンダー」という言葉は7回出てくるが、「ジェンダーフリー」という言葉はない。

 なお、愛媛県の条例には、「ジェンダーフリー」も「ジェンダー」も見当たらない。

 地方自治体が制定する条例の根拠となる男女共同参画社会基本法が制定されたのは平成11623日で、その年末までに2回改正されている。翌年12月、男女共同参画基本計画が策定され、男女共同参画の施策が本格的に推進されることになった。

 愛媛県では、平成4年から女性行動計画が存在し、国の基本法制定後の平成135月に男女共同参画計画に引き継がれた。愛媛県の条例が制定されたのは、その後の平成14326日である。

 松山市男女共同参画推進条例付則第4項よれば、平成11年に既に松山市男女共同参画推進センター条例が制定されている。



2.とんでもない事態

 国の男女共同参画社会基本法には「ジェンダー」も「ジェンダーフリー」も言葉としては登場しない。しかし、ジェンダーフリー思想が隠語で埋め込まれていた。実は、後述するように、男女共同参画とジェンダーフリーは同義なのである。国会議員はそれに気付かず、というより無知のままやすやすと法律を成立させてしまった。保守の油断だと言う識者もいるが、審議会と役人が結託し、議員を差し置いて反文化的・反社会的法令をつくってしまうという深刻な事態は、単なる油断では済まされない。

 基本法というものの特徴でもあるが、基本法には一般的なことしか書かれない。具体的なことは省内の承認だけで済む基本計画で後から明かすのである。そして、基本計画が実施されてジェンダーフリーの正体が現れてきた。一部にすぎないが、以下に例を挙げる。


2-1
 トイレの男女別表示

 トイレの男女別を男は黒のズボン姿で女は赤いスカート姿で表示するのは性差別であると非難が起きた。さらにはそれが極端になって、トイレを区別せず男女共用にせよという要求が出されたりもした。事実、「自由トイレ」をわざわざ設置した企業があるという。一度松山全日空ホテルへ行って、一階ロビーのトイレの区別表示を見ていただきたい。このように、どうでもよいことにまで法律や条例が干渉して、思想統制が行われているのである。


2-2
 テレビコマーシャルやテレビドラマにも

 アリナミンのテレビコマーシャルに、プロゴルファーの丸山茂樹がロケットに乗ってブイーッと出掛けるとき奥さんが手を振って見送るシーンがあった。奇抜だったが、このコマーシャルは間もなくお蔵入りになった。それについては、男女共同参画社会基本法が禁止する「性別による固定的役割分担」に該当するという抗議が殺到したからだという裏話がある。抗議者がどういう人たちかは言うまでもない。替わりのコマーシャルでは、夫婦あるいは男女がそれぞれロケットに乗って出勤することになった。この事件は、法律や条例や実施計画が専業主婦の存在に意義を認めないことを示す典型的な例である。しかし、法律や条例には専業主婦の存在が好ましくないとは書かれていない。というより、主婦という言葉さえ出てこないのである。

 最近のテレビの推理ドラマには、しばしばいろいろな職業の婦人(それが主婦の場合もあるが)が登場して、快刀乱麻を断つ如く事件を解決する。その場合、たいてい周りの男はのろまである。これも間違いなく男女共同参画社会基本法の成果というか、影響である。そんなことにこだわるとは大人気ないと笑われそうだが、法律にも条例にも「男女が共に尊重され」と書いてあるにもかかわらず、男をコケにしても咎めないというこの法律の特性をよく示している。


2-3
 言葉狩り

 以前は、女人を丁寧にあるいは敬意をもって呼ぶときは、「婦人」という言葉を用いていた。ところが、「婦」という字は女がホウキ(帚)を持つ姿を表すから差別文字であるという乱暴な主張に世間が恐れをなして以来、追放されてしまった。今は「婦人」の代わりに「女性」をつかうようだが、女性とは本来「女という性」を意味するのであって、女人を意味しない。戦後、上流階級の婦人が気取ってつかったが、それがはしりだったのであろうか。

 「看護婦」という言葉が追放された理由は、固定的役割分担を表す言葉であるというだけでなく、「婦」という文字が憎まれていたからでもある。「男」が追放されなかったのは、フェミニストのご都合主義か、あるいはジェンダーフリーが女権思想だからであろう。蛇足であるが、「男」を分解すると、「田」と「力」になる。立派な「性別による固定的役割分担」である。

 「婦」がだめなら、同じ理由で「士」もだめである。仕方がないからやけっぱちで「師」を借りた結果、世の中には「師匠」が氾濫することになってしまった。称号のうえでは看護師が医師と同格になって、世の中の平等意識は進んだのかもしれないが、「師」の格が著しく落ちた。「師」に代わる敬称はあるだろうか。

 もっと身近で有名な例がある。「主人」、「奥さま」、「亭主」、「家内」、「嫁ぐ」などは性差別だとして攻撃される代表的言葉である。愛媛県男女共同参画学習ガイドブックはもちろん槍玉に挙げている。「ヨメ」は大目に見られるが、「嫁」は許されない。「婦」と同じく字体が憎まれるのである。

 説明がくどくなったが、「男らしさ」や「女らしさ」の使用妨害でも分かるように、言葉狩りは男女共同参画の推進の一手法であるから用心しなければならない。「あらゆる分野において」という語句もジェンダーフリーの隠語の類であるから基本法や条例に頻出するが、まさしくあらゆる分野において言葉狩りが行われているのである。

 「メクラ」、「ツンボ」、「オシ」、「呆け」を始めとしてメディアは多くの言葉を禁語としている。「片手落ち」は障害者差別に通じるとして、「片落ち」に変えてしまった。メディアはなぜこのように愚かな言葉狩りをするのか。何事につけても差別反対を叫ぶ勢力がうるさいからである。しかし、これらの言葉は本当に差別用語だったのか。我々は節操の乏しいメディアに同調してはならない。それは文化の破壊だからである。百歩譲ってみても、どのような言葉を選んで遣うかは、個人の品位と教養の問題にすぎない。条例が個人の品位を云々するのは、まさしく良心の自由を侵害する行為である


2-4
 伝統文化否定

 鯉のぼりを揚げたり、お雛さまを飾ったりするなどの伝統行事ジェンダーによる性差別とみなされる。お爺さんが山へ柴刈りに行き、お婆さんが川へ洗濯に行くのも同じことで、そんなお伽話は子どもの目に触れさせてはならないとされる。さらに、そのうち「古典」という言葉は死語にされるだろう。ところで、文学や小説は大半が男女の葛藤を描くが、それらはどれだけジェンダー批判に耐えられるだろうか。


2-5
 教育の惨状

 もっとも被害を受けたのは教育つまり子どもである。

 男女を区別しないという方針の下に、男女混合名簿が強要され、競走や騎馬戦、棒倒し、組み体操などが男女混合で行われ、同室着替えと同室宿泊が頻繁になった。こうして、男女が身体を触れ合う機会を教育の場で用意した。家庭科の教科書では、「妊娠・中絶は女性の権利」とか、「性交に必ずしも愛は必要ない」と書く教科書も現れ、多様な家族の一例には「祖父母は除き犬を含める家族」もあるのだと説いたりする小学校低学年のうちから性器の名前を教え、図解だけでなく人形まで使って性交の仕方を教える。性病予防のためと称してコンドームの使い方を教えもする。フェミニズムでは性交は楽しみとコミュニケーションの手段とみなすので、性交は倫理に束縛されるべきではなく、年齢に係わらず自由であるべき(性の自己決定権)と教える。ただし、妊娠と性病罹患に対しては自分で責任を負えという。一口で言えば、フリーセックス教育を行っているのであって、貞操観念を育むことはまったく期待できない。援助交際は、防止に努めるのではなく、奨励しているのである。


[註]男女区別名簿のほうが便利なときに混合名簿を強制することは、授業の妨害に等しい。どちらの名簿を用いようと、男女平等の原則に反することではなかろう。本質的な問題でもないことを取り上げて、区別にすぎないことを差別だと騒ぎ立てるという意味で、男女混合名簿は教育の場におけるジェンダーフリーの象徴だと言われる。


 一つの調査の数字を挙げておこう。性体験者は高校
3年男子で37%、女子で45%に達する。別の調査では高校生男女のクラミジア感染率はそれぞれ7%14%である。2003年度の十代少女の妊娠中絶件数は約45千件、19歳では50人に1人が中絶している。「結婚前は純潔を守るべきだ」と考える高校生は、男子で41%、女子で29%。つまり、女子のほうが“進んでいる”。

 一昔前には、結婚は子どもを授かり育てる覚悟ができてからしたものである。このところ、その覚悟のない「できちゃった婚」ばやりであるが、この無責任な風潮はジェンダーフリー教育の成果であり、1920年代のソ連における実験の通りになったのである。その実験については7ページに述べる。

 フェミニズムでは個人が束縛を受けないことを目標とするから、個人は国家を始めとする権力から解放されなければならない。したがって、教育の場では「自己決定権」とか「自主性」、「個性の尊重」、「自分らしさ」、「強制の拒否」などという言葉が飛び交うことになる。しかし、それでは規律や規範を守らせて公共心や遵法精神を養い、模範に学ばせることはできない。とくに義務教育では、主目的は国民として共通に身に付けておくべき事柄を教えることである。子どもの個性は学ぶ過程で滲み出てくるので、伸ばすべきものを伸ばすのは当然だが、力説するほどのことではなかろう。

 「お手々つないでゴールイン」とか「全員主役の学芸会」という学校に蔓延する現象は一般にもだいぶ知られてきている。意味の説明は不要であろう。これは、差をつけてはならないという過度な平等主義の弊害で、悪平等というべき現象である。個性と自主性の尊重および平等と子どもの人権の尊重が極まると、先生は児童・生徒と対等になり、友だちになってしまう。そうなれば、先生はもはや生徒を叱ることも躾けることもできない。事実、最近の新人教員は「子どもたちと友だちになりたい」と言うそうである。彼らはそのように育てられてきたのだから、では済まされない。そういう教員を養成している大学に問題がある。


2-6
 事業者の苦悩

 土木作業の現場には圧倒的に男が多い。男女間の力の差は歴然としているから当然である。ところが、条例や基本計画に「入札参加資格審査の際、企業の男女共同参画促進の取り組みを考慮する」と書かれていればどうなるか。建設会社や建築会社は仕事を取るために幽霊女子社員を登録するなどという違法行為をせざるをえなくなる。こんな理不尽があろうか。

 日本のたいていの家庭と同様、農家でもたいてい妻が家計を握り、家を動かしている。しかし、「家族経営協定」を結ぶべしという条項は、農家における報酬の配分や、休日・労働時間のルール化を求める。個人の暮らし方に行政が介入しているのである。なお、愛媛県における協定締結農家は平成17年に550戸、平成21年目標が830戸である。(愛媛県男女共同参画計画中間改定による)

 農業協同組合や林業組合、漁業協同組合が男女の役員を半々にせよと要求されたら、途方に暮れるだろう行政が男女平等を唱えてそこまで干渉するいわれがどこにあろうか。

 基本計画では「多様な働き方への条件整備」という目標を掲げるが(たとえば、松山市男女共同参画基本計画,p.54)、その言葉とは裏腹にこのような矛盾に満ちた画一的要求をするのである。


2-7
 フェミニストのために税金を浪費

 財政緊縮のなかで男女共同参画には多大な予算が振り向けられ、全国に関連施設が建設されてきた。なかでも有名なものを挙げよう。

 「国立女性教育会館」は埼玉県嵐山町にある。広大な敷地内に本館(女性教育情報センター)のほか、15の会議室を有する研修棟や345人が宿泊可能な宿泊棟、カフェテリア式レストラン、他に音楽室、工芸室、体育館、屋内プール、テニスコート、草原運動場、和装の書院まである。運営費は年間約8億円で、そのうち71800万円が文部科学省からの交付金である。

 ここで毎年フェミニズムの祭典「男女共同参画のための女性学・ジェンダー研究・交流フォーラム」が開催される。一昨年は3日間にわたって1528人の一般入場者を動員し、ワークショップに96組が出展した。参加者のほとんどは都道府県や市町村から研修で派遣されてきた職員であった。なかには自治体の募集に応募し旅費と宿泊費を支給されて参加する一般人もいる。どちらにせよ、予算を使って参加し、フェミニズムを学ばされて帰るのである

 この類の施設の利用度はきわめて低いであろうことは容易に想像がつく。社会保険庁のグリーンピアに比すべきであろう。

 東京都の「東京ウィメンズプラザ」は渋谷区神宮前の一等地にあるコスモス青山ビルの一・二階を占めている。家賃は年間68千万円で、東京都が運営費に10億円を支出している。実際に運営に当たっていたのは「東京女性財団」という外郭団体だった。この団体は都が3億円を出して92年に設立し、設立後5年経った97年にも76千万円もの都税が投入されていたうえ、常勤職員13人の全員が都からの出向であった。1999年に都知事となった石原慎太郎氏は20014月からウィメンズプラザを都の直営とし、財団は財政援助を打ち切られて解散した。

 ウィメンズプラザの図書館は、図書・行政資料・団体資料など約54千冊、雑誌2千種、ビデオ等の視聴覚資料約千本を所蔵している(2006年)。これらの図書資料は偏向しており、ウィメンズプラザがジェンダー思想の普及を図っていることを明示している。フェミニストに講演を依頼して高額な報酬を払い、また彼らの著書を購入することは、フェミニストを利する行為である。

 大阪市内には男女共同参画センターが市立で5つ、府立で1つ、計6つある。市のものは「クレオ大阪」と呼ばれ、やはり大阪市女性協会が管理・運営している。大阪市から運営費として83900万円が支払われ、そのうち5億円強を人件費が占める。クレオ大阪の総工費は1264千万円、大阪府男女共同参画センター(通称ドーンセンター)は96億円である。

 国と地方自治体を合わせると、膨大な税金がフェミニズム普及運動に注ぎ込まれ、フェミニストを太らせていることになる。



3.ジェンダーフリー否定した政府
 
男女共同参画社会基本法とそれに隠されていたジェンダーフリー思想の正体が次第に明るみに出るにつれて、猛烈な批判が沸き上がってきた。批判を受けて、当時の福田康夫官房長官は平成1411月に、「男女共同参画社会基本法はジェンダーフリー思想の普及を目的とするものではない」という趣旨の発言をした。以後、ジェンダーフリーという言葉の神通力にはかげりが生じてきた。

 平成1712月には国は第二次基本計画を発表した。新計画では「『ジェンダーフリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」とし、きわめて非常識な具体例として、行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦を挙げて、基本法の恣意的な拡大解釈と運営を戒めた。そして、前基本計画の欠陥であったジェンダーフリー色を薄めるために次のような路線修正を行った。

  (1) 女権の尊重から母性の尊重に重点を移したこと

  (2) 女性学あるいはジェンダー学の振興と研究の奨励を取り止めたこと

  (3) 家族と家庭の大切さを重視する姿勢を示したこと

  (4) 社会の基礎単位を個人とする考え方を抑制し、家庭が基礎単位であることを
  明記したこと

  (5) 基本法は、機会の平等を目指すもので、結果の平等まで求めていないことを
    確認したこと

上記の修正の意味は、この文書を読み進むにつれてよく分かるようになる。

 新計画の策定に当たっては激論が交わされ、「ジェンダーフリー」という言葉の使用は禁じられた。しかし、「ジェンダー」は生き残った。その結果、言葉は追放されたが概念が残るという奇妙な事態になった。なぜなら、ジェンダーフリーは「ジェンダーの解消」と書けるからである。また、ジェンダーという言葉はたいていジェンダーを問題にする人たちが用いるのであるから、それ自体にジェンダーフリーの含蓄がある。

 昨年末、千葉県市川市議会は、家庭や伝統文化の破壊につながる男女平等基本条例を廃止し、男らしさ・女らしさを否定せず、専業主婦の生き方や家族の協力、また男女の特性や発達段階に応じたバランスある教育を尊重する画期的な新条例を制定した。

 今年の621日、山口県小郡市長は、議会に提出していた男女共同参画推進条例案を撤回した。「男女共同参画を市民や事業者の責務としているが、責務を果たさなかった場合はどうなるのか」、「男女の役割分担は古くからあるが、それをすべて否定するのはどうか」などの質問が相次いだからだという。


[註]
女性学(ジェンダー学もほぼ同じ)はフェミニスト養成学と呼ぶべきもので、結婚や母性を否定し、専業主婦の生き方を軽蔑するような偏向思想を流布している。大学の3割で必修化されているという指摘がある。



4.ジェンダーフリーの用語法と思想

 ジェンダーフリーについて詳しく知っている市民は少ない。だから、男女共同参画推進条例の恐ろしさが分からず、逆に良いものだと思っている。

 ジェンダーフリー主義者(フェミニスト)は響きの良い言葉をつかって尤もらしいことを主張する。それは、市民を無知なままにして、密かに既成事実を作り上げる策謀であって、多くの市民が見事に騙されてきた。


4-1
 支配・被支配の観点から社会を観る

 フェミニストは社会の事象を支配・被支配の観点から捉える。夫婦については、夫が主人で妻は奴隷とみなす。「社会的に形成された固定的役割分担」とは、社会が作り上げた支配・被支配の関係のことである。日本の社会が酷い状況にあるかの如く条例で書くのは、これを強調するためである。「差別」という言葉も同じく支配・被支配の関係を表す。フェミニストにとっては違いや区別はすべて差別なので、「違い」や「区別」という言葉はつかわない。

 徹底的な平等、自由、権利を獲得するためには、この支配・被支配の関係を断ち切らなければならないが、それは「社会的に形成された固定的役割分担を解消しなければならない」と表現される。もちろん、強制があると自由でないから、「すべてが自らの意思によって」行われなければならないのである。

 「性別による固定的役割分担意識」とは、「男らしさと女らしさ」と思っておけばほぼ間違いない。つまり、フェミニストはこういう当たり前な文化的伝統も破壊したいのである。


4-2
 家族を解体して個人をバラバラにする社会革命思想

 上述のように夫婦は支配・被支配の関係にあるから存在してはならない。つまりジェンダーフリーは、家族を解体して個人をバラバラにし、伝統的社会を破壊することを目論む革命思想なのである。性による区別は差別とみなすから、性差は認めない。これが「性別によらず」の意味である。性差がなく中性であるべき人間が性交するのかという究極の疑問に対しては、それは動物的行為であって社会的行為ではないとでも答えるのだろうか。しかし、動物の社会ではフリーセックスだというのは勝手な思い込みである。

 夫婦が存在せず、個人個人がバラバラで束縛されない社会では、性交は自由(フリーセックス)である。愛情は人を束縛し不自由にするから不要である、というより、あってはならないのであろう。ジェンダーフリー教育で過激な性交教育(性教育ではない)が行われるのはこのためである。


4-3
 ジェンダーフリーの終着点

 さて、平等や自由や権利を徹底し、男も女もまったく違わない社会を追求して、その先にいったい何が待っているだろうか。無味乾燥で荒々しく皆が孤立した寒々とした人情のない世界であろう。そこでは思いやりや助け合いや労わりや感謝や敬意で成り立つ幸せな家族は最早存在しないだろう。

 人は生まれるとき、時も所も親も性も素質も選べない。つまり、人はその根源においてどうしようもなく不平等である。人々の幸せのために、そういう不平等を少しでも解消しようとして社会がつくった約束事が「法の下の平等」であり、「基本的人権」であり、「各種の自由」である。「平等」や「人権」、「自由」はもともとあったものを社会(権力)が奪ったのではなく、もともとなかったものを社会が保障しているのである。社会の秩序が破壊されると、当然これらの保障は失われる。

 フェミニズムは権利を保障している社会自体を破壊し、結局権利の保障を消滅させてしまう、という矛盾を抱えている。

 我々は何のために条例を制定するのか。幸せのためである。平等や自由や権利が最終目的ではない。


[参考]ジェンダーフリーの実験で大混乱に陥ったソ連

 フェミニズムはマルクス主義の一派である。マルクスやエンゲルスの思想の背景には、産業革命の負の面であるスラム街における労働者の劣悪な生活と西洋の男尊社会とがあった。伝統的にむしろ女尊である日本の社会には、彼らの思想は馴染まない。不必要なものを持ち込もうとするから、無理が生じるのである。天照大神は女神であることを思い起こそう。

 レーニンはロシア革命直後にジェンダーフリーの実験を行ったが、実験場である農業共同体は大混乱に陥って、失敗に終わった。そんなジェンダーフリーを日本に持ち込んで実施しようとするフェミニストの意図は何なのだろうか。


5.松山市男女共同参画推進条例を読み解く

5-1 前文について

[前文]

 すべての人が性別にかかわりなく個人として尊重され,自らの意思によりその個性と能力を十分に発揮することのできる社会の実現は,私たちの願いである。

 世界では,昭和50年の国際婦人年から今日まで,国際連合を中心として,女性に対する差別をなくす目的でつくられた女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約が採択されるなど男女平等の実現に向けた積極的な各種の取組が行われてきた。我が国でも,日本国憲法において個人の尊重と法の下の平等がうたわれ,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律や男女共同参画社会基本法が制定されるなど男女平等を実現するための法律・制度が整備されてきた。

 21世紀の我が国においては,少子高齢化の進展や経済活動の成熟化,国際化,高度情報化など社会経済情勢が急速に変化し,人の生き方が多様化している。このような状況の下で,我が国が真に豊かな社会を築くためには,男女共同参画社会を実現することが最重要かつ緊急の課題となっている。

 私たちのまち松山は,温暖な気候と天災の少ない豊かな自然環境に恵まれ,温かい人情と数多くの文化・伝統・風習がはぐくまれてきた都市である。また一方,これまで男女共同参画の推進のための施策が積極的に展開されてきたものの,性別による固定的な役割分担意識やそれに基づく社会習慣が依然として存在している。

 ここに私たちは,男女共同参画社会を早期に実現することを決意し,この条例を制定する。

[疑問1-1 前文からは「女子が差別を受けている」という認識が読み取れる。この条例はそれを是正することを目的としているのであろう。しかし、後から分かるが、条例を逐条的に読むと、「女子を主体にして述べている条項」は皆無で、大変違和感がある。


[疑問
1-2 前文の表現を借りれば、その差別の実態は 

 「男女共同参画社会を実現することが最重要かつ緊急の課題となっていて」

 「男女共同参画を早期に実現することを決意し」

 なければならないほどだという。これらの表現からは、日本の社会はとんでもなく不平等で、女子は酷い差別を受けているという印象を受ける。このような実態が果たしてあるだろうか。

[疑問1-3 本条例は国連のいわゆる女子差別撤廃条約に基づくとしているが、その条約が想定しているような差別がわが国に存在すると考えられるか

[疑問1-4 何を緊急に是正しなければならないのか、具体的には不明である具体的に不明なことに対して、条例を作って対策を立てるのはおかしくないか。

[疑問1-5 「性別による固定的役割分担意識」という言葉が出てくるが、具体的に言ってどのような役割分担が固定的なのか。

(議論) 具体例が挙げられていない、また挙げることができないということは、状況認識が曖昧であり、したがって目的も曖昧だということである。さらに、条例の背景にある価値観の当否が不明だということを意味する。そういう条例が成り立ちうるものだろうか。また、条例の実施ができるものだろうか。

[疑問1-6 逆に、固定的でない役割分担としては、たとえばどんな分担が考えられるか。

(議論) 「固定的でない役割分担」の例が挙げられないということは、すべての役割分担が固定的と見なされかねないおそれがある。「固定的」という言葉はまやかしであって、その言葉を冠して実質的に役割分担そのものを否定しているのではないか。

[疑問1-7 何が固定的役割分担であるかは、誰が決めるのか。

(議論) 審議会(松山市男女共同参画会議)ででも決めるのであろうか。その審議会にどれだけ物の分かった委員がいるだろうか。学識経験者は女性学の専門家だったりする。だから、フェミニストが二人三人いれば審議会は牛耳れるだろう。かくして、審議会を隠れ蓑にしたジェンダーフリー市政が横行するのである。審議会には議員が入って、「活動家市民・職組」支配の偏向市政を防止しなければならない。

[疑問1-8 昔から力仕事は男の役割であるが、この役割分担は固定的であるから排除するべき悪なのか。

(議論) 松山市男女共同参画基本計画を読むと、あらゆる分野におけるあらゆる役割分担を悪とみなしているらしいことが分かる

[疑問1-9 「それに基づく社会習慣」とは、たとえばどのような習慣か。

[疑問1-10 この条例の理念は

「性別による固定的役割分担意識やそれに基づく社会週刊が依然としてそんざいしている」ので、解消を目指す
 ことであると理解する。この理念は「ジェンダーフリー」そのものではないか。

[疑問1-11 前文の最初に

「すべての人が性別にかかわりなく個人として尊重され、自らの意思によりその個性と能力を十分に発揮することのできる社会の実現は、私たちの願いである」

と書かれている。結構そうだが、よく考えてみると疑問が湧いてくる。

(1)  「性別にかかわりなく尊重される社会」が理想というが、男あるいは女としての役割を果たすことによって尊重されることもあるのではないか。それは理想のうちに入らないのか。
(2) 「個人として尊重される社会」が理想というが、組織や家庭での役割ゆえに尊重されることは、どのように評価されるのか。 
(3)  「自らの意思により能力を発揮する」というが、現実には「指示命令で能力を発揮する」ことのほうが多いのではないか。この場合はどうでもよいのか。 

(議論) 「性別にかかわりなく」、「個人として」、「自らの意思により」という語句が、理想の状態をことさらに限定していることが分かる。それは、特定の価値観の押し付けでもある。上の三語句を除いても、文章は立派に成立するのである。

 なお、「個人として尊重される社会」とは、個人を単位として成り立つ社会のことで、家族を基本とする社会を否定しているのである。条例から家族重視の姿勢がまったく読み取れないのは、そのためである。



5-2
 第1条(目的)について

[条文]

 この条例は,男女共同参画の推進について,基本理念を定め,市,市民,及び事業者の責務を明らかにし,施策の基本となる事項を定めることにより,男女共同参画を総合的かつ計画的に推進し,もって豊かで活力のある男女共同参画社会を実現することを目的とする。

[疑問2-1 この条には
    「この条例は、‥‥基本理念を定め、‥‥」

  と書かれている。後の条に(基本理念)と称する独立した条はないが、第11条によれば、基本理念は第3条から第10条に述べられている。しかし、基本理念を8箇条にもわたって述べるのは冗長で、基本理念そのものを分かりにくくしてしまう。

  そこで、問う。基本理念を表すキーワードは何か。

(議論) 後述するが、第4条は「ジェンダーフリー」の理念を述べている。第3条は日本の社会の実態の把握と過激な表現に問題があるが、それはジェンダーフリーと不可分の表現である。他の6箇条もジェンダーフリーを基本理念とすれば理解ができる

[疑問2-2 もし基本理念がジェンダーフリーでないなら、他の何が基本理念なのか。

(議論) 今さら「男女平等」でもあるまい。それから、「男女共同参画」とはジェンダーフリーの別称である。英語はgender equality(男女同質)のはずである。


5-3 第2条(定義)について

[条文]

 この条例において,次の各号に掲げる用語の意義は,当該各号に定めるところによる。

 (1) 男女共同参画

 男女が,性別にかかわりなく,社会の対等な構成員として,自らの意思によって社会のあらゆる分野の活動に参画する機会が確保され,もって男女が均等に政治的,経済的,社会的及び文化的利益を享受することができ,かつ,共に責任を担うことをいう。

 (2) ジェンダー

 生物学的な性別とは異なる男女の役割を固定的にとらえる社会的又は文化的に形成された性別をいう。

 (3) 積極的改善措置

 第1号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な範囲内において,男女のいずれか一方に対し,当該機会を積極的に提供することをいう。

 (4) 市民

 本市の区域内(以下「市内」という。)に居住し,通学し,若しくは通勤し,又は市内で活動する者をいう。

 (5) 事業者

 市内において事業活動(非営利活動を含む。)を行う個人又は法人をいう。

 (6) セクシュアル・ハラスメント

 性的な言動により相手方を不快にさせ,若しくはその者の生活環境を害し,又は性的な言動に対する相手方の対応によりその者に不利益を与えることをいう。

 (7) ドメスティック・バイオレンス

 配偶者(婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)から受ける精神的,経済的,身体的又は言語的な暴力及び虐待をいう。

[疑問3-1 第2条第(1)項(男女共同参画)に「あらゆる分野で性別にかかわりなく社会活動する」と書いてある。他の条にも「あらゆる」が出てくる。

   (1) 「あらゆる」は極端ではないか。

   (2) 「あらゆる」には何か特別な意味があるのではないか。

[疑問3-2 第2条第(6)項セクシュアル・ハラスメントに、「性的な言動により相手方を不快にさせ」とある。

   (1) 「不快にさせた」という事実は誰が認定するのか。

   (2) あるいは、「不快だ」と誰かが叫べば、セクハラになるのか。

(議論) セクハラとは、「好きな人にされたいことを嫌いな人にされること」であると冗談めかして言う人がいる。これが冗談に聞こえないところに、定義の困難と適用された場合の怖さを感じる。


5-4 第3条(男女の人権の尊重)について

[条文]

 男女共同参画の推進は,男女が人としての尊厳が重んじられること,直接又は間接にかかわらず性別により差別した取扱いを受けないこと,個人としての能力を発揮する機会が平等に確保されること,人権侵害である男女間の身体的,精神的,経済的又は性的暴力等あらゆる暴力が根絶されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として行われなければならない。

[疑問4-1  ここには、

    「性別により差別した取扱いを受けないこと」と書かれている。

   (1) 「差別」は「区別」とは違うが、条例で定義する必要があるのではないか。

   (2) 条例施行上、差別と区別の違いはどのような基準あるいは原則で判定されるのか。

[疑問4-2 また、「人権侵害である男女間の身体的、精神的、経済的又は性的暴力等あらゆる暴力が根絶されること」と書かれている。

   (1) 「男女間」は「男から女に対する」とはっきり書くべきではないか。

   (2) 日本の社会の実態は、このように激しい言葉で表現されるほど酷いものだろうか。


5-5 第4条(社会における制度又は慣行についての配慮)について

[条文]

 男女共同参画の推進に当たっては,ジェンダーを反映した社会における制度又は慣行によって,男女の自由な活動の選択を妨げることのないように配慮されなければならない。

[疑問5-1 この条に書かれている「ジェンダーを反映した社会における制度又は慣行によって、男女の自由な活動の選択を妨げることのないように」を一言で表すと、「ジェンダーフリー」ではないか。


5-6 第5条(政策等の立案及び決定への共同参画)について

[条文]

 男女共同参画は,男女が社会の対等な構成員として,市,事業者その他の団体における政策又は方針の立案及び決定に共に参画する機会が均等に確保されるように推進されなければならない。

[疑問6-1 事業者あるいは団体においてその性質上必然的に構成する男女の数に偏りがあるときに、「参画する機会が均等に確保される」における「均等」は具体的に何を意味するか。たとえば、農業共同組合や森林組合、漁業協同組合において女の役員の数が少ないことは是正するべきことか。他にも、個人商店や零細事業者に男女の均等を課すことは実情に合致するか。(関連条:第21条)

(議論) 定義が曖昧だと、勝手な拡大解釈が生じうる。「機会が均等に確保されること」が意味するところは、「門戸が開放されていること」よりも「結果の平等」に近いという印象を受ける。これは、「男女共同参画」の隠された意味が結果の平等であって男女平等と同じではないことによる。


5-7 第6条(家庭生活における活動と他の活動の両立)について

[条文]

 男女共同参画は,家族を構成する男女が,相互の協力と社会の支援の下に,子の養育,家族の介護その他の家庭生活における活動と職業生活その他の家庭以外の社会のあらゆる分野における活動とを両立して行うことができるように推進されなければならない。

[疑問7-1 この条では「男女が家庭生活における活動と家庭以外の社会における活動との両立」を推進することになっている。専業主婦は考慮外である、あるいは無視しているとしか理解できない。簡単に言うと、「主婦を家庭から解放する」ということか。

(議論) それならなぜ、はっきりそう書かないのか。奥歯に物が挟まったような表現をし、真の意図を隠すから、条例が訳の解らないものになるのである。

[疑問7-2 主婦の仕事は社会における活動の一種であるという視点はないのか。

(議論) 家庭は社会の根幹であり、家庭をしっかり維持することは立派な社会貢献である。それゆえ、法律的には夫の収入の半分に対して妻が権利を有しているのである。社会貢献が認められていないのであれば、配偶者控除はありえないのではないか。また、次の時代を背負う健全な国民を育てるという重要な役割も担っている。

[疑問7-3 家事(育児を含む)と仕事の両立は容易でないという現実的認識はあったか。

[疑問7-4 「性別による固定的役割分担意識」が主婦を存在させているという認識か。

(議論) 農業社会では、主婦は家事以外の仕事もしていた。工業化社会に移行するとともに人口が都市に集中し、核家族が増加した。その結果、専業主婦が増加した。つまり、核家族化という社会構造の変化が専業主婦を生んだのではないのか。

[疑問7-5 どのような生活様式を選ぶかは、各家庭の判断に委ねるべきではないのか。

[疑問7-6 家庭と家族の大切さについては、条例はまったく触れていない。家庭と家族を軽視していると理解せざるをえない。この点について、どのように考えているのだろうか。

(議論) 家庭は社会の根幹である。それを否定するのは社会の破壊である。この条例は社会の破壊を目指しているのか。

[疑問7-7 乳幼児育てにおける母親の役割について、どう考えているのか。

(議論) 日本の伝統的な育児では、三歳まで母親が抱いて育てることを重視していた。ところが、戦後西洋から取り入れた、早期から自立を促す進歩主義育児では、これを三歳児神話と呼び、誤りとした。しかし、最近は日本の伝統的育児が国際的にも再評価されていると聞く。育児は託児所や保育所に任せればよいという考えは改めなければならない。


5-8 第7条(経済活動の分野での男女共同参画)について

[条文]

 男女共同参画は,経済活動の分野において,男女が均等な就労環境の下で,労働,生産,経営等に協働して取り組むことができるように推進されなければならない。

[疑問8-1 条中に
 「男女が均等な就労環境の下で、労働、生産、経営等に協働して」
と書かれている。男女の特性の相違を考えれば、これは非現実的ではないか。


5-9 第8条(教育の分野での男女共同参画)について

[条文]

 男女共同参画は,家庭教育,学校教育及び生涯にわたる社会教育の分野において,主体的に学び,考え,及び行動することのできる自立の精神と男女平等の意識がはぐくまれるように推進されなければならない。

[疑問9-1 教育の分野で男女共同参画を実施するということは、男と女を区別しない教育を行うということか。

[疑問9-2 「主体的に学び」は、「自分らしさ」という標語のもとに個性重視という放任に近い教育を行うという意味か。

(議論) 「自分らしさ」とは、規範や模範を示さないと「わがままを認める」すなわち「放任」と同義になってしまう。また、「主体的に行動する」は「性の自己決定権」と結びつく。

[疑問9-3 フェミニストは「性の自己決定権」を主張する。「自立の精神」とは結構なことであるが、実は「性の自己決定権」つまり性交の自由のことではないか。

[疑問9-4 「男女平等の意識がはぐくまれる」には常識的には反対のしようがない。しかし、それはやはり「男女を区別しない」ジェンダーフリーに結びつけているのではないか。

(議論) 教育の場は勢力を広げるためには大変重要で、日教組などのフェミニストがかねてから着々とジェンダーフリー教育を行ってきた。そこに男女共同参画推進条例ができて、そのジェンダーフリー教育が公認された形になった。かくして教育の荒廃が急速に進んだのである。しかし、それはかえって教育現場の実態が国民に明らかにされる結果をもたらした。


5-10 第9条(国際的視野の下での男女共同参画)について

[条文]

 男女共同参画は,すべての国・地域で取り組むべき目標であると認識し,国・地域にとらわれることなく,広い視野の下に積極的に推進されなければならない。

[疑問10-1 この条では
 
「国・地域にとらわれることなく、広い視野の下で積極的に推進しなければなら
  ない」
と主張する。「国・地域にとらわれることなく」の意図ははっきりしないが、全体として「国際的視野の下で」とでも言いたいのであろうか。しかし、ことさらに国際的視野を持ち出す背景あるいは理由は何なのだろうか。

(議論) 国連人権委員会や世界女性会議の動きに敏感であれと言いたいのだろうが、この委員会と会議はジェンダーフリー主義者の巣窟である。一般の松山市民が国際フェミニズム運動に関心があるとは思わないし、また関心を持つべきだとも思わない。条例のジェンダーフリー色が批判されたときの正当化あるいは言い逃れの口実にでもするのであろうか。

 なお、国連人権委員会は廃止され、代わって昨年6月から47カ国から成る人権理事会が発足した。この理事会はイスラム色が強くなっているので、前とは動きが変わるだろうと推測されている。世界女性会議は、1995年の北京における会議の後は引き受け国がなく、開かれていない。家族擁護と生命尊重を掲げる世界家族会議は今年5月に第4回会議を開いたが、国連の最近の人権諸条約は国連設立の基礎をなす「世界人権宣言」から逸脱していると批判している。それらの諸条約は国連憲章そのもの(二条七項「国家が自国の文化的規範および慣習を決定する権利を保証する」)にも違反している。


5-11 第10条(性の尊重と生涯にわたる健康への配慮)について

[条文]

 男女共同参画は,男女が互いの性を尊重するとともに,妊娠,出産その他の生殖と性に関し,互いの理解を深め自らの決定が尊重されること及び生涯にわたる心身の健康に配慮して推進されなければならない。

[疑問11-1 「互いの性を尊重する」は意味不明である。

(議論) 「性の尊重」とは「性の自由の尊重」つまり「フリーセックス」のことではないか。フェミニストは夫婦を否定し、個人個人がバラバラになった社会を理想とするから、セックスは必然的にフリーなのである。あるいは、別の言葉で「性の自己決定権」のことだろうか。それとも男女の区別が判然としない性同一性障害などへの配慮のことだろうか。

[疑問11-2 「性の尊重」と「生涯にわたる健康への配慮」は関連性が薄い。なぜ結びつくのか。

(議論) この条には、ジェンダーフリー用語のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの内容が書かれているのである。リプロダクティブ・ライツとは、1994年の国際人口開発会議と翌年の北京における世界女性会議などで唱えられた「産むか産まないかを女性が決定する権利(中絶の自由)」のことである。リプロダクティブ・ヘルス(女性の保健)とは、出産を担う女性を尊重せよという主張である。このヘルスとライツの直接的な結び付きは一般人には不可解であるが、フェミニストには常識である。松山市の条例の立案者はフェミニストであったから、このヘルスとライツを結び付けた第10条を設けたかったのであろう。ただし、リプロダクティブ・ヘルス/ライツという用語は隠したのである。

 一方で、松山市男女共同参画基本計画(p.27)にはやはり抜かりなく書き込んで、印象づけと常識化を図り、ジェンダーフリー思想の普及を目指している。

 なお、条文の主語は男女であるが、ヘルスにせよライツにせよ、女のものであって、男女共通のものではない。

[註]ヘルス=健康、ライツ=権利、リプロダクティブ=再生産的,生殖の。

[参考]マザー・テレサのメッセージを抹殺した北京世界女性会議

 1979年のノーベル平和賞受賞者であるマザー・テレサ修道女が北京世界女性会議にメッセージを寄せた。会議はそのメッセージを発表せず、抹殺した。なぜかという疑問は、以下に紹介する彼女のメッセージを読めば氷解する。また、世界女性会議の本質も理解できる。

《マザー・テレサのメッセージ》(要旨)

 私には、なぜ男性と女性はまったく同じだと主張し、男女のすばらしい違いを否定しようとする人々がいるのか理解できません。

 女性特有の愛の力は母親になったときにもっとも顕著に現れます。しかし、私たちが、愛することや他者のために尽くすことよりも、仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊します。仕事も、夢も、財産も、自由も、愛に代えることはできません。男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしません。

 子どもたちが愛することと祈ることを学ぶのにもっともふさわしい場は家庭です。家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子どもたちは愛と祈りを知らずに過ごします。家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子どもたちは、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。

 子どもは神から家族への最高の贈り物ですが、子どもにとっては父と母の両方が必要です。

[疑問11-3 「妊娠、出産その他の生殖と性に関し、互いの理解を深め」とある。

  (1) 「妊娠と出産その他の生殖と性」の主語がなぜ「夫婦」でなくて「男女」なのか。

  (2) 「その他の生殖」とは何か。もし、体外受精や代理出産を意味するとすれば、勇み足ではないか。

  (3) 非婚妊娠や非婚出産をどのように認識しているのか。この条例は非婚の妊娠や出産を当然のこととして容認するのか。

  (4) 「性に関し」とはどういう意味か。説明不足である。また、「性の尊重」と「性の理解」とはどう違うのか。

[疑問11-4 男女の「自らの決定が尊重される」というとき、誰に対して「自ら」なのか。

(議論) 日本の社会あるいは家庭の実態は、夫婦が家庭内のことを自ら決定できないほど酷いと認識しているのか。たとえば、「女性が子どもを産むか産まないかの決定権は、長い間、国家や夫の手に握られ、女性は自分自身のことでありながら、主体的に決めることはできませんでした」(愛媛県男女共同参画学習ガイドブック)とでも思っているのか。


5-12 第11条(市の責務)について

[条文]

  市は,第3条から前条までに定める男女共同参画の推進についての基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり,男女共同参画の推進に関する施策(積極的改善措置を含む。以下「男女共同参画推進施策」という。)を総合的かつ計画的に実施する責務を有する。
市は,男女共同参画の推進に当たっては,市民,事業者,県,国等と連携・協力するとともに,市民及び事業者が男女共同参画の推進のために行う活動に対し,積極的な支援に努めるものとする。 
 

 

5-13 第12条(市民の責務)について

[条文]

  市民は,基本理念にのっとり,ジェンダーを反映した社会における制度又は慣行を改善し,家庭,職域,学校,地域その他の社会のあらゆる分野における男女共同参画を推進するよう努めなければならない。
市民は,市が実施する男女共同参画推進施策に協力するよう努めなければならない。

 

5-14 第13条(事業者の責務)について

[条文]

  事業者は,基本理念にのっとり,その事業活動において男女共同参画を推進し,就労者の職業生活における活動と家庭生活における活動との両立を支援するための就労環境を整備するよう努めなければならない。
事業者は,市が実施する男女共同参画推進施策に協力するよう努めなければならない。 
  

[疑問14-1 義務なのか、それとも期待なのか。義務だとすれば、それは妥当なのか。また、実情に合っているのか。


5-15 第14条(性別による権利侵害の禁止)について

[条文]

  何人も,あらゆる場において,ジェンダーによる差別した取扱いをしてはならない。
何人も,あらゆる場において,セクシュアル・ハラスメントを行ってはならない。
  何人も,あらゆる場において,ドメスティック・バイオレンスを行ってはならない。 
  市は,前3項の規定に違反する行為による被害を受けた者に対し,必要に応じた支援を行うものとする。 

 

[疑問15-1 セクシュアル・ハラスメントを行ったものはこの条例を根拠に罰せられるのか。

(議論) セクハラは多くの場合、個人の品位の問題である。条例は倫理に立ち入らないほうがよいのではないか。

 多くの男が萎縮して女に誘いの言葉を掛けられないような状況は好ましくない。最近未婚の男が急増しているが、強い女に対する男の萎縮も原因のように思えてならない。


5-16 第15条(情報の公表の表現への配慮)について

[条文]

 何人も,あらゆる情報の公表に当たっては,ジェンダー,セクシュアル・ハラスメント又はドメスティック・バイオレンスを助長する表現その他男女共同参画を妨げるような表現を行わないよう努めなければならない。

[疑問16-1 表現の自由や言論の自由を侵害している。

(議論) 「男女共同参画」に反対することを許さないらしい。目的のためには手段を選ばず、ある時は言論の自由を叫び、一方で言論の自由を封殺するのは、いかにもフェミニストらしい。「現代のファシズムは、ファシズム反対を叫びながらやってくる」とは、よく言ったものである。

 

 続 く 



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