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第1回講演会

これがジェンダーフリーの正体だ!

明星大学教授 高橋史朗先生
(時) 平成16年9月22日
(所) 松山市男女共同参画推進センター
(主催)健全な男女共同参画社会をめざす会

 今日はこの会場に入りましたらジェンダーフリーカルタで迎えられまして、日本女性会議が来年松山で全国大会を開くということをお伺いしました。

 男女共同参画というのは2つの側面を持っておりまして、1つは健全な側面。もう1つは危険な側面。この2つが実は、男女共同参画社会基本法に入っているんですね。先ほどご紹介いただきました冊子には、私の文章もたくさん入っておりまして、論点をかなり明確にしたつもりでございます。特に第3章ですね。お手元にお持ちの方は第3章を見ていただきますと、論点を1つ1つ、8つの論点について書いておりますけれども。

 男女共同参画と男女平等とジェンダーフリーをイコールで考えている方がたくさんいらっしゃるんですね。ジェンダーフリーと男女平等はイコールではない、ということが最も大事なことなんであります。本来ジェンダーフリーをどういう意味で使っているかが問題なんですけれども。後から作られた文化的・社会的性差からの解放、これをジェンダーフリーと言っておりますが、性別による不利益をなくそうという意味ならば、良いんです。それはつまり男女が人権として平等であるべきだ。これはその通りであります。その意味では男女共同参画というものは健全な側面を持っている、と申し上げたいんですね。男女平等というのも、男と女が男である女であるという理由で不当な不利益を受けないようにするという意味であるならば、その通りであります。

 ところが、問題はですね、同等と同質を履き違えている人たちがジェンダーフリーということを誤った意味で使い始めている。つまり、男らしさ女らしさを含めてですね、男女の特性というものが差別に繋がると。男女の特性、つまり男らしさ女らしさが実は差別に繋がるんだという、そういう人たちが教育界に広がってきた訳であります。

 私、愛媛県が作られた男女共同参画学習ガイドブックというのを全文読みましたけれども、これはかなり酷いものであります。産経新聞が今日も、神奈川県で作っているものについて神奈川県も過剰な指針を作っているというふうに取り上げました。数日前には、港区のガイドラインが大きく本来の政府が考えている男女共同参画と著しく逸脱している内容になっていると、そういう事を問題にしてますが、この神奈川県や港区よりも、この愛媛県のガイドブックの方が遥かに問題があるというふうに、実は思っております。その中身はこれから申し上げますけれどもですね。

 例えば、具体的に申し上げますとですね、4Pにこういう文章があるんですね。「女性と男性の違いは、つきつめれば、『子供を産む可能性があるかどうか』ということに行き着きます」と。男と女の違いは子供を産む可能性があるかどうかということに行き着くと言うんです。男女の違いというものをどう考えるか。これはですね、最近いろんな本が出ております。皆さんに是非読んでいただきたい本の1つは、ピーズ夫妻の『話を聞かない男、地図が読めない女』という、これは大変有名な本ですけれども。あるいは新井康允という、これは脳科学の先生ですが、『ここまでわかった女の脳、男の脳』という本ですね。脳科学から、改めて男女の性差を見つめようという本です。あるいは澤口俊之さん、この方は北海道大学の脳科学の医者ですが、南伸坊さんが書いた『平然と車内で化粧する脳』という本。平然と車内で化粧するという女性増えてますよね。本来は化粧はプライベートなものです。でも、車の中で電車の中で化粧しても、教室の中で化粧してもなんとも思わないという女性が非常に増えてきた。これはどういう問題があるかということを含めて、この本では扱っておるんですけどね。

 産経新聞に、脳科学と教育について最近私は小論を書いたんですが、残念ながらこちらは大阪本社版ですので。東京版では1ヶ月半に1回、私が『解答乱麻』という欄を担当しているんですけどね、それで今日のお話は大体書いているんですが、残念ながら皆さんお読みになっていないので、少しそのお話もしたいと思っているんですけどもね。そこで、先ず冒頭に脳科学はどういうことを言っているかということをちょっとご紹介したいんですね。

 その前に、先ほど神奈川県で問題になったというのは、これはそのコピーなんですけれども、神奈川県で出している資料に依りますと、まずこういう言葉を使っちゃだめだというんです。子弟、子弟関係の子弟ですね。それか老女、老婆、奥さん、家内、主人、亭主、旦那、もだめですね。内助の功、女房役、嫁ぐ、嫁、婿、職場の花。職場の花は愛媛県のガイドブックもその事に触れていますね。45Pに、主人とか家内という言葉を使っていないかというジェンダーチェック表があります。主人とか家内とか旦那とか嫁とか、という言葉は固定的な性別役割分担意識につながるという訳ですね。これキーワードなんです。これが問題だ、これをなくそう、というのがジェンダーフリーの発想なんです。問題は、男女の役割分担というものが必要なのか必要でないのか、ということが問題の核心です。更にですね、「女の腐ったような」、これはだめだと。「男の風上にも置けない」、これもだめです。まあ、この辺はいいとしてですね、「男らしさ女らしさ」、これもだめだというんです。

 東京都の教職員組合がやっているセクハラ調査というのがあるんです。子どもにやっているセクハラ調査。その中に、先生が男らしさ女らしさに触れたら、これセクハラだというふうになっているんです。セクハラの内容項目に入っているんです。そうすると、男らしさ女らしさを教えることはセクハラだということになる。それは間違いです。

 子供のアイデンティティーというものはどういうふうにして形成されるか。それを脳科学の立場から言いますと、少なくとも3つあるんです。これはですね、昔から日本人が言って来た子育ての知恵で、これも今まで何度かこういう会でも話をしてきましたけれど、『しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ』と言ってきたんですね。この『しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ』というのを10代から30代の若者はほとんど知らないです。僕は明星大学の通信教育部のスクーリングの授業で聞きました。200人くらいの学生に聞いたんですね。大体20代、30代です。『しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ』という言葉を聞いたことある人と聞いたら、1人もいませんでした。日本人が大事にしてきた子育ての知恵を教師がもう知らないんです。『しっかり抱く』というのは受容する。『下に降ろす』というのは分離する。『歩かせる』が自立する、ということですね。『しっかり抱く』というのは母性的慈愛。母親の無条件の慈愛が子どもの成長に必要不可欠です。これを日本では『三つ子の魂百までも』と言って来た訳です。
 ところが、それを厚生白書が平成10年度版から「3歳児神話には、少なくとも合理的な根拠がない」と言った。そしてそれは非常な影響を今、与えていますね。家庭科の教科書にもそう書いてありますし、劇的な意識の変化を生んでいます。特に女性たちに対してですね。ここに出生動向基本調査という調査を持ってきているんですが、今から10年前は少なくとも「子どもが小さいうちは母親は仕事を持たずに家にいるのが望ましい」と答えた女性は9割を越していたんです。既婚女性ですね。「全く賛成」というのが48%です。ところが昨年行われた調査では、それが26.7%にほぼ半減しているわけです。つまり、「小さい時は母親は仕事を持たずに家に居るのがと望ましい」というふうに、これは日本女性のいわば常識だったわけです。ところが今はこれは大きく変わりましたね。それは「3歳児神話というものが合理的根拠がない」という主張とも大きく関係があることでございますが、脳科学は何を明らかにしたかといいますと、臨界期というのがあるっていうんです。

 例えば、ある小鳥は生まれて1時間が臨界期で、その1時間に父親が関わるかどうかということが、子どもの成長に決定的な影響を及ぼすと。そういう時期があるわけです。人間の場合は、これが約8歳だそうです。それを感受性期というんですけどもね。その8歳までの時期、脳の発達から言いますと、脳細胞はほぼ9割、90%以上、8歳までに成長遂げ終えるんですね。そうすると、8歳までにどういうふうに子どもに関わったかということが、子どもの成長に決定的な影響を及ぼす。そしてその影響は実は、思春期に現れるんだそうです。それは思春期挫折症候群と言っています。どういう影響が来るかといいますと、これはですね、自己中心的、責任転嫁、無気力、刹那的、憂鬱、被害妄想。行動障害としてルーズな生活、親への反抗、暴力、登校拒否、非行、自殺、等々ですね。これらはPQの障害から生まれていると。

 初めて皆さん聞いた方もいらっしゃると思いますが、IQは知能指数で、皆さん知っていますよね。IQが高い低いと言いますよね。PQというのは人格的知性、総合的知性なんですね。プリフロンタル クウォーティエントと言いますが、前頭連合野の知性なんです。前頭知性と言います。前頭連合野というのはここにあるんですけれども、ここは人間性の、人間らしさの機能があるところなんです。ムカツキ、キレルというのは自分をコントロールできない。それはこのPQが育ってないからだと。

 文部科学省が今、本格的な研究を始めまして、来年から50億円かけて0歳から10歳まで脳の測定をですね、千人規模でやるっていうんです。そして、母親の関わり、父親の関わり、おとなの関わりがどういうふうに脳の発達と影響関係があるかということを測定する。この脳科学の本格的な研究が進んでおりましてね、ADHDとかうつ病とかですね、さまざまな問題にまで実はこのPQが育っていないという、そういうことが明らかになってきた。

 これは審議会にも大きな影響を与えておりまして、例えば、文化審議会の国語教育の分科会は最近報告書を出しまして、小学校の国語の授業時間を倍にしろと。高校の国語は半分、自由選択でいいと。こういう大胆な提言をしました。何故そういうことを言ったかといいますと、これ、感受性期に注目したんです。言葉を獲得するのは時期がある。8歳ぐらいまでが大事なんだから、小学校時代に充分にその感受性を育てる。しかも音読が大事だと言っているんですね。声をあげて読書をする。しかも名文を音読する。最近脳を測定する技術が急速に伸びましてね、例えば、音読している時にどういうふうに脳が活性化しているかを測定できる訳です。そしてそれを見ることができる訳ですね。そういう脳科学の発展によって、実は男と女の差というものは生得的な、これはホルモンによる性差、そこに依っているんだということが、明らかになってきた訳です。

 私が、都庁で開催されたヒューマン・アニマル・ボンド学会という所で新井康允という方と基調講演をしたんですけれども、脳科学の専門家達が、「生まれた時はジェンダーフリー、ということを言っている人がいるが、そんなのは嘘だ」。メスザルにですね、アンドロゲンという男性ホルモンを注射すると男の遊びや男の色を求めるようになる。それは後から作られた性差でなくて、脳内ホルモンによる、つまり生物学的な性差から来ているんだと。「ジェンダーフリーというのは、そういう意味で脳科学から見れば非常に非科学的な、捏造された仮説に過ぎない」というふうに激怒しました。「噴飯ものだ」と言いましたね。ですから、実はこのジェンダーフリーについてもですね、そういう脳科学の専門的な立場からこの問題について議論すれば、イデオロギーを越えた議論になるのでですね、将来的にはそういうことがもっと活発に行われるのではないかというふうに思っています。

 さて、今日は最初にジェンダーフリーについてのいろんな問題点、現状についてお話して、何が問題かについて明らかにしたいと思います。ちなみにですね、産経新聞の出している『正論』という雑誌に、本当は9月1日発売の号に出る予定だったんですが、林道義さんと私が対談をしております。そこに男女共同参画についての論点を1つ1つ整理をして、それに対する反論をしておりますので、それも是非見ていただきたいと思っております。

 まず1番のポイントは、父性とか母性というものが差別なのかどうかということ。固定的な性別役割分担ということは、つまり父親の役割とか母親の役割というものはあるのかどうか、父性とか母性というものはあるのかどうか、ということがまず最初の問題であります。父性というのは男の共通の個性と言ってよいでしょう。母性というのは女性共通の個性と言ってよいでしょう。多様性を大事にしようとジェンダーフリーの人たちは特に言うんですが、何故か男と女の個性だけは排除しようとする。これは問題です。男らしさ女らしさよりも自分らしさをと言うんですが、この対立図式は間違っています。人間らしさというものは、男らしさ女らしさという個性を排除するものではない。男らしさ女らしさの上に自分らしさというものが加味されて、より魅力的な人間になるわけですね。そして、ジェンダーというものの捉え方が問題なんです。ジェンダーというのをマイナス的に、固定観念として、抑圧システムとして捉えていることが問題です。

 このことは後で申し上げたいと思いますが、例えば、男女共同参画基本法も第1章にその目的を明記しておりまして、「豊かで活力ある社会を実現する」ということを書いています。松山市の男女共同参画推進条例ですね、ここにも目的第1章に書いてありまして、そこには「豊かで活力のある男女共同参画社会を実現する」と。このこと自体は健全な側面なんですね。豊かで活力ある社会というのはどういう社会かといえば、男女が違いを生かし合って、欠点を補い合って、これは補完といいますけれども、そして新しい秩序を共に作っていく。私はそれを共創と言っているんですが、男女共同参画社会というのは男女が共に作っていく共創社会ですね。豊かで活力のある男女共同参画の社会というものは、男と女というものの違いを生かし合いながら、お互いにそれを補い合いながら、そして和合しながら、補完していく文化を作り上げていくことが、実は豊かで活力ある社会になるはずなんですね。

 ところが、愛媛県の条例もですね、それから松山市の条例もですね、どこが一番の問題なのかと言いますと、ジェンダーの捉え方です。先ほども申し上げましたように、ジェンダーというものをどう考えるか。それを先ほど言ったマイナス的な固定観念として抑圧システムとして、つまり男の女に対する支配というものとして見る。そういうふうに見ると、それを解消するというジェンダーフリーがその当然の帰結になってくるわけでありますがね。

 そのジェンダーの捉え方。これは長谷川三千子さんがあちこちに書いておられますが、ジェンダーというものは男女の定型、男と女の型。型というのはちょっと難しいかもしれませんが、私が必ずどの講演でも触れるキーワードに『守・破・離』というのがあります。で、これは、『守』というのは人間教育の基礎、基本を身に着けさせるという。これは型から入る教育です。歴史に学ぶ会というのが今日の主催団体でございますが、歴史的に受け継がれてきた型というものを継承する。その型を通して心を学ぶ。感性に気づく。目に見えない価値に気づくということが大事でありまして、これがある意味で父性的秩序感覚につながる。

 このジェンダーフリーについてこれから激しい論争議論がまだまだ起きてまいりますが、それをどういう立場で考える必要があるかといいますと、大人が何を教えるかという「教」の立場で考えると、どうしても対立します。性教育も人権教育も歴史教育も全部対立するんです。しかし、それを乗り越えるためには「育」の立場、何が子どもの主体を形成し、何が子どものアイデンティティーを育てるかという「育」の視点から考えれば、対立を乗り越えることが出来るんです。

 今、少年の凶悪事件が次々と起きておりますね。これはある進学校で、中高一貫の学校で、都内の学校でですね、身近な人に殺意を抱いたことがある生徒がほぼ半分います。殺意は日常生活に忍び寄っているんですが、その根本には2つの問題がありまして、1つは自己肯定感がない、自尊感情がない。もう1つは人間関係が希薄、という共通点があるんですね。

 アイデンティティーというものを形成するためにはですね、先ず第1に母性的な慈愛が必要だ。これが『しっかり抱いて』という所です。それを『三つ子の魂百までも』と日本人は言い伝えてきた訳ですね。ところが、そういう母性なんていうものはないんだ、それは後から作られたものなんだと言ったのが、大日向雅美という『母性の研究』という博士論文を書いて、今文部科学省の家庭教育支援の懇談会の座長にとなっている方が、母性というものは後から作られたものだというふうに否定した。母性愛だとか母性本能なんてものはないと。それは後から作られるものだと。

 ところが、脳科学はどういうことを解明したかといいますと、セロトニンとかドーパミンという脳内ホルモンがどういうものかということを明らかにしている訳ですね。例えば、セロトニンというのは、ある脳科学者は幸福汁と訳していましてね、幸福というものを感じる能力、これがセロトニンだと。これが母性愛の基礎だと言っているんですね。ドーパミンというのは探求心とか好奇心とかの根本で、私たちが成功体験、成就感、達成感を体験した時にドーパミンという脳内物質が出る。不登校児の脳を測定していると、そういうものが育っていない、出ていないんですね。

 母性とか父性というものについて、脳科学はかなり明らかにして参りました。特に大事なのは胎児期、乳幼児期ですね。胎児期、乳幼児期にどういうふうに母親が子どもと関わるかということは、子どもの成長に大きな影響を与える。これをベイシックトラストとエリクソンは言ったんですけども。基本的信頼感、源信頼と言いましたが、厚生省は平成10年の厚生白書までは母子相互作用が大事だということを強調してきたんです。ところが、平成10年の先ほど申し上げた厚生白書から、一変して『3歳児神話には根拠がない』と言い出した。ところが今、脳科学は母子相互作用がどういう影響を脳に与えるかを本格的に研究し始めたんです。最近小児科医が盛んに言い出したのは、目線を合わせようとしない乳幼児が増えてきたと言うんです。それは生まれて来てすぐに保育器に入れられてしまうためです。

 そして、子育てが幸福論ではなくて経済論で考えられるようになってしまった。つまり、お母さんも働いて保育料を出したほうが得だという、損得の価値観ですね。これは経済効率を第一にしている訳です。何が幸せかという幸福論ではなくて、経済論で考えている。それをリッツァは『マクドナルド化された社会』という本の中で、その効率というものを世の中が求めるようになった。ファーストフードはその1つの典型ですけども。日本人は「手塩にかけて育てる」とかですね、「お母さんが作ったお袋の味」という、そういうことを言ってきましたね。ところが、3歳児神話を否定する人達は言うんです。おふくろが作った味噌汁がおいしい、なんていうのは根拠がないというんです。科学的根拠がない。おろかなことです。母親が作ったというプロセスが子どもの心を支えるということがわからないんです。効率化というのはそういうプロセスをどんどん合理化することです。そして、効率化が脳にどういう影響を与えているか。それも今、脳科学が重点的に研究していることです。世の中は効率化に向かってますよね。どんどん、どんどん効率化している。お母さんがお弁当を作るんじゃなくて他人が弁当を作る。それを買う。
 先日テレビで、TBSという番組が報道特集でですね、東京で13時間保育というのが常識になっているんですが、ある保育園の理事長は11時間しか自分は認めないと言うんで、断固都の方針に反対してる訳です。都の方針に反対しているために補助金が下りないんです。だから建物ががたがたになっているのに直すことが出来ない。だけどこの方が言うには、13時間も保育するっていうのは異常だと。

 例えば、待機児童0作戦で15万の待機児童、大体0歳児ですよね、それを3年間で0にしようと、小泉さんはこの問題の本質が解っていなくて、それを大きな顔をしておっしゃってる。老人介護と育児は家族の責任ではなくて、地域の責任だと。これを育児の社会化と言い始めた。もちろん私は社会が育児に参加することに反対ではありませんし、あるいは父親が育児に参加することも大いにすべきだと思っています。しかし、父親は第二の母親の役割をすることが本来の役割ではなくて、父性的な秩序感覚というものを子どもに教えることが父親の役割なんです。父性というのは『切る』働きです。何を切るかというと子どものわがままと対決する。児童の権利条約には児童の最善の利益を第一義的に考慮するというのがあるんですが、それは目先の利益を保証してやることではなくて、自立できるように導くことなんです。自立と自律は違います。男女共同参画社会、あるいは男女平等というのは、世界の流れです。しかし、ジェンダーフリーは世界の流れではありません。そこを混同していることが問題なんですね。

 私はいつも学生たちに紅梅と白梅の真中に広い川が流れている、あの尾形光琳の紅白梅図を見せて、これが日本人が大事にしてきた感性だと。つまりバランスなんですね。男と女というもののバランスをどう取っていくのか、ということが問われています。それはある意味では、前にも申し上げたかもしれませんが、綱渡りをする時に長いバランス棒を持つ必要がありますね。このバランス棒、どうバランスを取っていくかという工夫なんです。バランスを失えば、ばらばらに落ちてしまいます。ゆとり教育と学力低下という問題も実はバランス棒の一つですね。

 日本はある意味で、人権としては男女平等というものをもっと社会制度として取り入れる必要があります。その意味では、多くの女性達がやはり女性は差別されていると思っているのは一面においては正しい。それを男性は真正面から受けとめる必要があると思います。問題は、その男女平等というシステムを日本にどんどん導入しながら、いかにして日本人が大事にしてきた、男と女が補完しあって和合してきて新しい文化を作り上げてきた、そういう日本人のその文化の良さを損なわないように、いかに男女共同参画社会を実現するかということなんであります。

 ところが、この愛媛県の学習ガイドブックを見ていても、どうも本来の男女共同参画というものと誤ったジェンダーフリーというものが、どうも食い違っているわけです。で、これは産経新聞が7月1日に、一面トップ記事で『ジェンダーフリー、安易な使用を戒め』ということで、1月23日に都道府県の男女共同参画の担当責任者を集めて政策研修会をやりまして、男女共同参画に関する基本的な考え方というのを政府が配ったわけです。この冊子にはこのことを書いておりますね。もしお手元にある方は16Pをちょっとご覧いただけますか。そこにですね、政府は男女共同参画というものをどう考えているか、ジェンダーフリーと男女共同参画の関係をどう考えているかが、非常に明確に出ているんですけども。16Pの下の方ですね。「  」に包んでいる部分。

 先ずこれが政府が担当責任者に配布した資料なんですけれども、ジェンダーフリーという用語は法令などにおいて使用されてはいないと。これは和製英語です。外国では通用しません。もともとバリアフリーという言葉にヒントを得て、1995年に東京女性財団のプロジェクトチームが使い始めた言葉です。次に、男女共同参画社会は男女の差の機械的、画一的な解消を求めているものではないと。それから次に、男女の生物的特徴といわれるのは、生殖機能や内分泌調整などの相違として現れる。男女差と相違の背景には脳の構造と機能の相違があることが、動物実験からも認められていると。ですから男女の差というものはその脳の構造と機能の相違から来ているということを認めているわけですね。それから、男女共同参画は男女の逆転や中性化を描くことを求めるものではないと。

 何故ここで逆転なんていうものが出て来るかと言いますと、今あちこちで昔の物語ですね、神話とか民話とか、そういうものが男と女を逆転してあちこちで語られているんですね。おじいさんは川へ洗濯に、おばあさんは山へ柴刈りにと。そういう話になりまして、どう思うかと感想文を課している。そして、おじいさんは楽をしてると、こういう感想文が出てくるわけですね。あるいは、以前の会でもお話したことがありますが、これは家庭科の教科書ですけれども。『桃から生まれた桃子ちゃん』というのが、桃太郎を教えるのは特定の固定観念を押し付けているものだと。で、前の家庭科の教科書の検定では4冊不合格になっているんです。それは家族というものの基本的な考え方が欠落しているとか、極端な考え方が全面に出ているということで不合格になったんですが、今回はフリーパスで通っています。何故通っているかと言いますと、男女共同参画社会基本法というものが成立して、その影響が教科書検定に及んでいるからです。そして文部科学省は父性・母性という言葉を今、使いません。それは先ほど申し上げたように、文部科学省の家庭教育支援の懇談会の座長に大日向雅美という、母性というものを否定している学者を登用していることにも現れている。そして家庭科の教科書はことごとく父性・母性という言葉を使わないで、育児性とか親性という言葉を使っています。父性・母性から育児性へと。これはね、大間違いです。

 今度の教育基本法の改正で、家庭教育が大事だということは反論がないんです。異論がないんです。愛国心や宗教教育については公明党が反対しておりますが、家庭教育が大事だということを教育基本法の改正に盛り込もうということについては、与党・野党含めて反論がありません。反対論がありません。だから必ず、教育基本法改正案が上程された時には、この家庭教育の条項は新たに盛り込まれるでしょう。問題は中身なんです。家庭教育が大事だという時に、父親の役割はどういう役割なんだ、母親の役割はどういう役割なんだという、そのことが明記されなければ、家庭教育が大事だというだけでは絵に描いた餅にすぎないんですね。

 脳科学者は、父親の役割、母親の役割を明確にしています。それは父性・母性ということとも繋がるわけでございますがね。是非皆さんに読んでいただきたいもう一つの本は、『幼児教育と脳』という本です。これは北海道大学の澤口俊之という方が書いたものです。これも是非読んでいただきたいものであります。そこには父母の役割、父親の役割、母親の役割ということを明確に述べています。母性的慈愛と父性的秩序感覚、この2つがあって初めて子どもはアイデンティティーが形成される。

 3つ目がですね、男女の区別の意識です。男女の区別の意識っていうのは、自分が男、自分が女であるということを明確にすること。つまり、良い意味での男らしさ・女らしさというものがアイデンティティーを形成するという上で大事な要素だ。という事は、アイデンティティーを形成するために、ジェンダーフリー教育はこれをことごとく否定するわけです。ジェンダーフリー教育はアイデンティティーの形成に有害である。これが「育」の視点から子ども主体形成、アイデンティティーの形成というところから見れば、明確なる結論であります。

 そこで、どういうジェンダーフリー教育が広がっているかについては何度かお話してまいりましたし、今日お集まりの皆さんは大体基本認識があるのかもしれませんが、あえていくつかお話を先ずしておきましょう。

 例えば、小学校の校歌とか校訓までが問題になり始めています。皆さんのこの愛媛県ではどういう学校が名門校か私はよくわかりませんが、その名門校の校訓あるいは校歌の歌詞を、是非点検していただきたい。富山では光陽小学校という所が「父のような立山連峰、母のような神通川」というのが問題になりました。何故、山が父で川が母かと。これ、陰と陽ですね。天地、天と地。天と地は差別だと、こういう話になるわけですね。陰陽の原理を差別というふうに受けとめる。古事記神話の国生み神話は差別の骨頂だという訳であります。

 あるいは、理想なのはこのカタツムリだと。男と女、雌雄同体というのが理想の姿だと。あるいは皇帝ペンギンが理想のシンボルだと。皇帝ペンギンのお母さんは卵を産むとすぐ巣から離れて餌を求めて海に出てしまうと。その後卵を温めるのはお父さんの役目だと。何も食べずに氷点下50度の南極の極寒のもと、じっと卵を抱いて過ごします。これが理想だというわけですね。
 あるいは、東京の国立市で小学校1年生3クラスで両性具有の性器について3人の先生が授業をやりました。両性具有の性器の存在、これは例外的なものですが、1年生に教えるということは間違っています。もちろんそれを教えるなという、それをタブー視する必要はありませんが、順序というものがあります。まずは人間というものの基本を教えて、そして両性具有という例外について教えるのが順序であります。今日お集まりの皆さんでも両性具有って何だという方がほとんどでしょう。つまり何故最初に例外を教えるか。例えば性同一性障害の人がいる。これも教えて良いんです。教えて良いんですけれども、先ず普通の男女の基本を教えて、その後こういう人もいますよということを教えるのは良いんですが、いきなり1年生に性同一性障害ということを教えてですね、それは何を狙っているかというと、男でもない女でもないという存在というものを刷り込もうとしているわけです。それはある意味で、今日もう1つ申し上げた男女共同参画に潜んでいる危険な側面と私は申し上げましたが、それは社会主義難民たちの巧妙な革命戦略としての狙いがある。その中に密かに潜んでいるものがある訳ですね。

 私は新しい国民の油断と言っているんですが。教科書問題は当初ですね、西尾幹二、藤岡信勝両先生の『国民の油断』という本が大きな問題提起をしたものであります。しかしこの男女共同参画社会、男女平等ということは、教科書問題よりも私は深刻な国民の油断ではないかと実は、思っています。例えば、男女共同参画の予算は9兆円近い。防衛予算は5兆でしょ。2倍近い予算を男女共同参画、この建物も膨大な予算のもとに建てられたものだと思いますけれども、国家防衛予算よりも2倍近い予算が男女共同参画の為に使われている。そしてそれがもちろん、まっとうな側面を伸ばすために使われるのなら私も異存はありませんが、ジェンダーフリーという誤った方向にかなり進んでいる。そしてそのことの危険性を自民党の議員も気づいていないし、多くの人たちも気づいていない。これは国民の油断です。歴史や家族や家庭の絆を崩壊させる、そういうジェンダーフリーというものを社会主義難民の人たちが密かに練っている。練りに練った革命戦略として展開されている。そういう危険な側面を一方においてはらんでいるということを、しっかりと見ぬく必要があります。

 例えば、大沢真理さんという方が、この方は上野千鶴子さんと並んでこの男女共同参画の推進をしている旗振り役でありますが、彼女がこういうことを言っています。「90年代前半のジェンダー論の到達点が男女共同参画社会基本法の理念に反映された形になった」と、こう言うんです。90年代前半のジェンダー論の到達点というのはフランスのクリスティーヌ デルフィーという人が、母性は搾取によって作り出された社会的構築物。社会的構築物というのは社会的に後から作られたものだということです。社会的に後から作られたものだから、それを解体する必要がある。そして母性というものは搾取によって作り出された。つまり男の女に対する支配ですね。男女の関係というものを支配・被支配の関係で捉えて、結婚というものを性支配、男の女に対する性支配の制度として結婚という制度を考えている。家族制度というものも1つの奴隷制度として考えている。そして家庭というものは性支配が行われる場であると。そういうふうに考えますと、そのジェンダー論は変形したマルクスシズム、マルクス主義ですね。非常に極端なイデオロギー一般常識とは大きくかけ離れた特定のイデオロギーというものが、実は男女共同参画社会という名のもとに、男女平等という不変的な名のもとに静かに深く進行している。そのことが問題なのであります。

 例えば、どういう現状が起きているか。1つはフリーセル保育というのが松戸という所で行われました。1歳以上の幼児にはおやつを選択する自由がある。そして、どういうふうに遊んでいるか、何をしているか、どういう遊びをするか、それは幼児が自分たちで決める。これ、自己決定権という。これもキーワードなんですね。自立の思想というのは自己決定権の思想なんです。自己決定権。今日はちょっと理屈っぽい話が出てくるかもしれませんが、男女共同参画を推進している人たちは非常に理論武装しています。だから、きちっと反論できなければ情緒論では負けてしまうんです。だから、きちっとした論理を立てなければいけませんので、今日は理屈っぽい話が多くなるかもしれません。
 自己決定権というのはですね、他人に迷惑をかけなければ何をしても本人の自由だという考え方なんです。その自己決定権の思想が学級崩壊を招いています。例えば、先生が居眠りをしている子を注意したら、「ぼくはいびきをかいて回りに迷惑をかけているわけじゃないんだから、静かに休んでいるんで、関係がない。先生、いちいち注意しないでくれ。僕の勝手」と。

 あるいは、大きな本屋さんがあると思いますが、NHKのテレビ高校講座のテキスト、『家庭総合』というテキストを見てください。そこには徹底平等家族の家というのが載っています。徹底平等家族。この名前だけでもう怪しいですね。徹底平等家族。何を言っているのかというと、家族は親子の関係もですね、個の自立。お父さんと子どもは個として自立する関係であって、対等だと。パートナーだと。人権は対等ですよ。しかし親と子の緊張関係があって自立するんです。

 父性というものは秩序感覚、ルール感覚、規範意識。そういうものを育むためにはお父さんが規範というもの、パターンというのは型というんですね、パターというのは父親の事です。お父さんがモデルになることによって、この自分が自由になんでもして良いんじゃなくて、そこに型や枠ですね、型や枠というものが子どもの人格形成には必要なんです。例えば、門限を作る。これ枠ですね。先ず門限を定める。その門限を定めていたのが今度は自由になる時に、本当に自由になったという喜びがある訳ですが、その型を守るというのが人間教育の基礎・基本でですね、それは強制なんですね。その時に父親は子どものわがままに対して断固、壁にならなくちゃいけない。つまりお父さんと子どもの関係は平等ではなくて、人間的には緊張関係があって、そこから自立が生まれる訳です。平等から自立が生まれるんじゃなくて、緊張関係から自立が生まれるんです。そのことがよくわかってないんですね。

 戦後教育は個の自立、個の自立と言って来ましたが、自立するのは今日申し上げた『しっかり抱いて』、『下に降ろして』、『歩かせろ』、の最後の段階が自立なんです。母性愛と厳しい父性愛を受けて初めて自立できるんです。ところが、その父性と母性という父親の役割・母親の役割というものを差別だ、父性・母性という言葉自体が差別だ、そういうふうに言う人たちがジェンダーフリーの基本的な考え方ですね。で、自己決定権は自分で決めるんだ、自分の行動は自分で決めるんだ

 それが一番現れたのは援助交際についてのアンケート調査です。今年1月23日に警察庁が発表したアンケート調査ですね。同年代の女子が見知らぬ人とセックスをすることを容認している中高生が67.7%です。これは共同通信が発信した記事を見ていただければ載っています。そして同年代の女子が見知らぬ人とセックスをしておこずかいをもらうことを容認している中高生は51%になりました。私はこの統計を読んで、内なる自然破壊がここまで来たかと思いました。外なる自然破壊は環境破壊です。内なる自然っていうのは人間性です。人間性がもう、どんどん音を立てて崩れている。モラルが崩壊している。それが少年の凶悪事件やさまざまな問題行動の激化となってここ数年一気に押し寄せている訳でありますが、この内なる自然破壊というものを食い止めるのか促進するのか。ジェンダーフリーはそれを促進するものです。ジェンダーフリーに歯止めをかけようということがすなわち、内なる自然破壊にストップをかけようという考え方だと私は思っております。

 出会い系サイトについても児童の被害、性被害が2年で18倍になりました。そして児童買春事件。これは大人の方が悪いんですけども、その児童買春事件の原因の94%は児童からの誘いだと。94%ですよ。つまりそれは私を1万円で買ってくださいというふうに、これもお金で考える。そういう価値観になってしまったといっていい訳ですね。これも内なる自然破壊と言わざるを得ない訳です

 つまり、日本人が何を失ったか。恥の文化と察する文化。私は2つ象徴的なものとして挙げています。恥の文化はどこから守られていくかといえば、父性から守られていきます。父親が秩序感覚、ルール感覚、マナー、モラルというものを教えることによって恥という感覚が育ちます。しかし今、恥という感覚が育っていない。それは親の世代が、お父さんお母さんの(世代が)、若いお父さんお母さんは特にですね、そういうものを子供たちにきちっと教えるという親心が崩壊し、親性、親らしさというものが崩壊しつつある。子どもの問題は大人の世代の問題であります。関係性が崩壊し、文化が音を立てて崩れている。文化の崩壊の姿です。日本人が明らかに変容しつつある。日本人は心の民族だと岡潔は言いました。しかし今、心というものがどれだけ家庭で重んじられているでしょうか。心というものがどれだけ学校や家で受け継がれているでしょうか。育っているでしょうか。そして親心というものが育ってないということがもっと危機的であります。育児が社会化することによってどんどん親の手を離れて行くために親の中に心が育たない、親心が育たない。

 報道特集でTBSがやったのはですね、生まれてすぐに保育所に預けている若い母親が登場しました。この方は美容院を経営している方ですね。「なぜ産まれてすぐに保育所に預けているんですか」という質問に対して、こう言いました。「愛着心が生まれないうちに預けたんだ」と。それを聞いていた学生が怒り出しました。こんなこと僕が、お母さんが言ったら許さないと。つまり愛着心が育たないうちに早く預けてしまおうという、そういう発想が生まれて来ている。そのこと自体が問題であります。

 それから、『母親の就労と子供の問題行動との関連について』という報告が最近ありましてね、僕は結論を見てびっくりしました。これがそうなんですけどね。『母親の就労と子どもの問題行動との関連について』の調査統計の結果です。結論、ここに出ています、考察という所に。「3歳未満での母親就労は、児童期の問題行動や親子関係の良好さとは関連しないことが明らかになった。乳幼児期においてはむしろ問題行動の発達を抑制する効果を持つ可能性が示された」と書いているんです。こういうのをイデオロギー的研究というんです。最初に結論がありき。もちろんこのプロセスを詳細に検討しなければなりませんが、これまでこの問題についていろいろと調査をしてきた方の研究を見ておりますと、どこに問題があるかと言いますと、先ず問題行動という定義が問題で、問題行動の判定を親にやらせているんですね。客観性が全然ありません。そして先ほど申し上げたように、脳科学によれば思春期にそのいろんな症状が現れてくる。つまり思春期まで追跡調査をしなければ影響関係はわからない。情緒面にどういう影響が出てきてるかということをきちっと調査してないんですね。

 小さい時に母親が関わったかどうかというこの母性の働きは、特に情緒の安定と関係があります。そして最近情緒不安定な子が増えているのは、母心というものがだんだん若いお母さんの中から薄れているからです。そしてその事と脳の発達が密接に関係があるとことが、だんだん脳科学によって解明されているんですけれども、その事をもう一度見直してみる必要があるということを申し上げておきたいと思います。

 それから3歳児神話についても一言申し上げなくちゃいけないんですが、女性たちの意識を大きく変えたのは、この平成10年度版の厚生白書です。3歳児神話というのは3歳までの脳の発達が大事だという意味と、母親の関わりが決定的な影響を与えるという2つの意味を持っています。まず3歳児までの脳の発達が大事だということについては、これは脳科学が疑問の余地のないほど明らかにしています。これに反論できる人はまずいないと思います。だから3歳児神話の中で3歳児までの関わりが大事だということについては、これは脳科学が一切の反論を許さないぐらい明確に打ち出しました。 問題は、3歳児までの関わりが大事だということはわかったけれども、母親の関わりが大事だということが解明できるかどうかという点にあります。父親でもいいんだと言っています、この合理的な根拠がないという人たちはですね。つまり、その関わりの質ですね。この母性的な関わりと父性的な関わり。ここでは母性の関わりの特徴は受容する、無条件の愛情だと言いました。これは一つの例で申し上げますと、私の通信制の大学院に入ってきた人でですね、40歳代で。中学校時代、非常に非行に走った方がいます。彼は自分がシンナーを吸っていた時の想いを歌にして、作詞作曲をして今、歌手をしています。彼の歌を聴いただけで、講演を聞いただけで、もう今日からシンナーを吸わなくてもいいという非行少年がたくさん現れています。それは丸ごと受け止めてくれるという存在に出会うだけで心が癒されるからです。つまり受容というのはそういうことなんです。丸ごと受け止めてくれるという無条件の愛情や信頼です。その無条件の愛情と信頼というものの中で、子どもは心を開く訳です。

 しかし、受容するだけではだめでありまして、そこから如何にして今度は心を鍛えていくかという、心を鍛えることが必要になってくる。そこで父性というものが必要になってくる訳であります。父性の役割と母性の役割、厳しさと優しさという、その2つの役割が子どものアイデンティティーの形成に必要不可欠だということを明らかにしている訳です。そのことを脳科学者はどういうふうに言っているかですね、ちょっとご紹介しようと思うんですがね。

 これはいくつかの本が出ておりますけれども、例えば今日ご紹介したのはピーズ夫妻が書いた『話を聞かない男、地図が読めない女』。この中でこういうふうに言っているんですね。「男と女が異なる進化をしてきたのはその必要があったからだ。男は狩をして、女は木の実や果実を採った。男は守り、女は育てた。それを続けた結果、両者の身体と脳は全く別なものになった。男女の身体はそれぞれの役割に合わせて発達していった」。これは固定的な役割分担があったからです。固定的役割分担が悪ではないんです。固定的役割分担がマイナス的な悪だと、固定的に考えることが間違いなんです。ジェンダーフリーの人たちの間違いはそこにありますね。
 「たいていの男は女より背が高く、力も強くなっていった。そして脳の方も役割に応じて進化していった。こうして何百万年もの間、男と女の脳は違う方向に進化していき、その結果、情報の処理の仕方まで変わってきた。今や男と女では考え方はもちろん、理解の仕方、優先順位、行動、信念までことごとく違う。その事実に見て見ぬ振りをしていると、あなたの人生は悩みと混乱が支配し、幻滅ばかりをすることになるだろう」と。ジェンダーフリーはかえって混乱を促進するんですね。

 更にこう書いています。「私たちの思考や行動を決めるのは、胎児期に作られる脳の配線とホルモンの働きである」。つまり生物学的な性差だって言うんですね。「男と女はもともと作りが違っている。この事実を認めようとせず、勝手な期待を相手に押し付けると、男女関係は暗礁に乗り上げる」。「今の社会では、子どもを性の区別なく育て、男女は全く同じだと教えている。こういう教育は長い人類の歴史でも過去に例がない」。だから脳科学者は噴飯ものだと言っているんですね。「男女を同じものとみなす見方は危険がいっぱいだ」と、こういう言い方をしています。つまり、男女の役割分担というものがことごとくマイナス的な抑圧システムだというふうに、固定観念で捉えることが問題なんですね。男らしさ女らしさより自分らしさをという、この図式も間違いです。男らしさ女らしさと自分らしさは対立するものではないからです。

 それからですね、具体的にこの愛媛県と松山市のところに戻ってまたお話をした方が良いかと思うんですけど、一般論よりもですね。どこに問題があるかということを松山市と愛媛県の資料に基づいて考えたいと思いますね。まず愛媛県全体のことから行きますと、前のほうから行きますと、4Pと22P。これは皆さんの手元にはないんですけれども、例えば22Pにはリプロダクティブ・ヘルス・ライツの推進という項目があります。

 この愛媛県の男女共同参画の学習ガイドブックを見てみますと、愛媛県の条例は全国と違う点が3つあると書いてあります。その3つは何かといいますと、1つは性の自己決定権ということを明確にしているという。これはリプロダクティブ・ヘルス・ライツという、ちょっと年配の方にはどういう意味だろうかと思うような言葉が出てまいります。リプロダクティブ・ヘルス。リプロダクティブというのは再生産。プロダクトは生む。リ、これは再びっていうんで、再生産。(ヘルスは)健康。(ライツは)権利というんです。性と生殖に関わる健康権利と訳されます。一般には、産む産まないを決めるのは女性の権利だということをリプロダクティブ・ライツと言います。その事を盛りこんだのが愛媛県の条例の特徴だということを、このガイドブックは明らかにしています。

 しかしですね、この性の自己決定権というものが決して世界で認められたものでないことが18P、お持ちの方は18Pをご覧いただきたいと思います。そこに3つのことが書いてあります。まず性と生殖に関する女性の自己決定権を、これは松山市の条例も盛り込んでいますし文章は同じ文章ですね。愛媛県の場合も松山市の場合も文章はこういう文章ですね。「妊娠、出産、その他の性及び生殖に関する事項に関し、自らの決定が尊重される」と。自らの決定が尊重されるというのは、つまり性の自己決定権ということに繋がるものですけれども。

 これはですね、国会で議論の対象になっておりまして、18Pの6番というところですね。「国の内外で反対が多い女性の自己決定権」という見出しで、まず最初に昨年の7月22日に衆議院の決算行政委員会で山谷えりこさんがそのことを質問しているんですね。まず胎児の生命権というものが児童の権利条約に含まれているということを認めさせた上でですね、つまり児童というのは胎児を含んでいると。出生前後というのが児童の権利条約の定義ですので、胎児は出生前後に含まれてる訳です。そこで、産む産まないを決めるのは女性の権利だというのと胎児が生きる権利があるというこの2つがどう両立するのかと、こういうことを質問している訳です。そこで坂東眞理子さんが、今度の埼玉県知事選に出るようでありますが、この方はこういうふうに答えている訳ですね。リプロダクティブ・へルス、つまり健康については生涯を通じた女性の健康ということで大事だという合意は為されているけれども、ライツ、権利については男女共参画審議会答申でもいろいろな意見があるというふうな記述になっており、国際的にもいろいろな論議が行われている。

 つまり合意はないということです。国内的には中絶の問題、堕胎罪の問題、そういうものとの関連で、胎児の生命権、生きる権利というものと女性に産む産まない権利があるというのは、どちらか一方を優先する訳にはいかないという。これが多くの意見だと。そして国際的にも両論があると。つまり合意がないということです。国内的にも国際的にも合意がないものを何故、愛媛県と松山市は条文に盛り込むのか。これが問題です。

 それから更に下の方を見ていただきますと、男女共同参画審議会でもそのことが問題になっておりまして、平成8年の1月29日にこの問題について法務省と厚生省からヒアリングをしているんです。法務省はどういうことを言ったかといいますと、6行目ですね。「胎児もまた生命を持った者として保護する必要があり、その軽視は人命軽視に繋がる恐れがあります」と言っている。厚生省は、「特に中絶については胎児の生命保護も1つの大きな法益ですし」「2つの大きな権利が拮抗する時」、つまり女性の権利だというのと胎児が生きる権利があるというその2つの権利が拮抗する時に、「どのよう調整していくのかということになり、必ずしも一方のみから考える訳にはいけません」と。つまり性の自己決定権ということだけを認める訳にはいかないということを明確にしている訳です。

 そして昨年5月8日から10日にニューヨークの国連本部で開かれた国連子ども特別総会でも、そのことが問題になっています。そして実質的にはそれに反対する人たちの意見の方が多数を占めました。とりわけ性教育に関する記述は全文削除されました。というふうに、ましてやこれを性教育にまで持ち込むことは。

 今日皆さんのお手元にこういうパンフレットがありますよね。『ラブアンドボディブック』というふうに書いてある。これも国会で問題になりました。中学生に配られた物であります。まだ、ある県ではこれを配っている所があるそうでありますが、文部科学省はもう回収しなさいと。厚生省には異論がありますけれども。この中でこのことが出てくるんです。『合言葉はリ・プロ』と書いてあります。中学生がセックスするかしないか、子どもを産むか産まないか、避妊するかしないか、そういうことは自己決定権があると。これを学校教育に持ち込むことは単に女性の自己決定権という域を越えて、中学生・高校生つまり子供の自己決定権、セックスするかしないか。つまり援助交際と同じなんですよ。援助交際を多くの中高生が容認しているというデータを言いましたが、その圧倒的多数意見は、援助交際は問題だけれども「本人の自由」と答えているんです。「本人の自由」というのが自己決定ということですね。そうすると産むのも産まないのも、避妊するのも避妊しないのも、何時産むかということも含めて、「それはあなたが決めるんですよ」と教えるのが学校教育に自己決定権を持ち込むことだ。『合言葉はリ・プロ』と中学生に教えることはそういうことですね。それは学校が先生が避妊を薦めているようなものだと、受けとめる子もいます。

 今日はあまり性教育について話をする時間はないと思うんですが、私は9年前に『間違いだらけの急進的性教育』という本を書きました。中学生に「産む産まないを決めるのはあなた方が決めるんだ」と言い出したので、「それはおかしい」。中学生に対して「不特定多数とセックスするな」となぜ言わないんだ。教育というものはそういうものじゃないのかと。もちろん言ったって100%の効果はありません。結局は他律から自律へと導いていくのが教育ですから、如何にして他律から自律へと導くかというこのことはとても大事なことです。しかし自律ということを教えることがとても大事な人間教育なのに、性教育は、自分で自分を律するということを、こんなことは性教育の課題ではないというふうに急進的性教育の人達は考えている。そこに私は問題があると思って、そういう本を書いたんですね。そしてアメリカの性教育の実体をその本で紹介しました。

 アメリカは今、ブッシュ政権のもとで節制教育といいますが、自分で自分を律するという教育が全米の3分の1に広がって、そして10代の性妊娠は減りました。性感染症も減りました。日本は逆です。私は今も県の医師会に呼ばれてあちこちで講演しておりますけれども、10代の妊娠はどんどん増えております。そして10代の性感染症もどんどん増えております。そしてオープンな科学的な性教育をという流れです。アメリカのちょうど逆方向です。それがどこから来ているか、もっと考える必要があります。

 私がアメリカにいた30代の時期、アメリカでは子供が子供を産んでいるという、そういう新聞記事が踊っていました。10代の子どもが産んだ、未婚女性の(産んだ)子が100万人を年間超えていると。そして高校に託児所を置いて、そこに子供を預けて授業を受けていると。それがアメリカの実体でございました。しかしそういう実体からアメリカは性教育を見直してもっと自分で自分で律するという、節制するするという、これがアメリカの雑誌にも特集が組まれて非常に広がっていきましたね。いわば心の教育といいますか、性教育においてもっと心というものを大事にしようと。性というのは『?』は心です。生きる心が性ですから、生き方としての性教育。性というものをどう受けとめて、性とどう関わっていくかという人間教育、生き方教育が必要だということをアメリカは今、実践している訳ですね。そういう観点からも、この性教育についても見直す必要があるんではないかというふうに思います。

 さて、また愛媛県、松山市に戻りますとですね、共通の問題点は少なくとも3つあると思っていますが、1つは先ほど申し上げたこの『性の自己決定権』を盛り込んでいることです。2番目は、ジェンダーフリーという言葉はそのまま、もろには使っていないんですけれども、例えば愛媛県の場合はどういう条例の文章になっているかといいますと、「性別による固定的差別的な役割意識の解消」とあるんです。性別による役割分担意識の解消。これはジェンダーフリーということです。解消ということはフリーにするということですね。つまり役割分担そのものがマイナスだと考えるから、全面解消なんですね。これがジェンダーフリーなんです。これが松山市の場合には21条ですね。松山市の条例はお手元にはないんですけれども、21条に同様の趣旨のことが書かれています。

 しかし政府は、決してジェンダーフリーを目指していないということを明確にしている訳ですね。先ほどの冊子にも出ていますけれども、更に読み上げますと「男女共同参画は男らしさや女らしさや伝統文化などを否定しようとするものではない」とはっきり書いてあります。そして「男女共同参画社会は長い伝統や文化などを失うことなく大切にしながら」、つまり伝統や文化を大切にするというのが政府が考える男女共同参画社会のあり様なんですね。そして「男女共同参画社会は安易な離婚を奨励するものではなく、家族の絆を深めることを目指している」と。

 母と子の絆を深めるということは家族の絆を深めるということです。しかし今、どんどん保育所を増やして、駅前保育所を作り、年末年始保育にし、もうどんどん保育サービスの充実という名のもとで、保育サービスという言葉がもう事の本質を証明していますね。どんどん子供を預けて、コンビニ保育で良いんでしょうか。コンビニエンスストアは必要です。しかしコンビニエンスストアと駅前の保育所とが同じになっちゃったら問題ですね、駅前に一時預かりやお荷物を預けるように。これは働く母親には都合がいいです。しかしそれは働いている母親の都合を優先してるんであって、子供のことを考えていないんです。児童の最善の利益を考えているんじゃなくて、働いている母親の最善の利益を考慮して、働いている母親に便利な駅前保育所、一時預かり、そしてひどい所は年末年始保育までやっていますよ。中にはお父さんお母さんが海外旅行に行って、子供を預けてるってケースがある。これは極端なケースかもしれませんが、自分たちは楽しさを満喫しながら保育料は同じなんだからという訳で預けてるという、割り切っている親もいます。そういう保育サービスの充実というだけを謳っている。少子化社会対策基本法が成立しましたけれども、その中で保育サービスの充実ということを謳っていますね。でも保育サービスの充実が子育て放棄とか親と子の心の絆というものを崩壊せしめる危険な側面を持っているということに、残念ながら小泉さんを始めとして世の政治家たちはあまり気づいていないんです。

 ぜひ皆さんに研究していただきたい、読んでいただきたい本の中にですね、外国の子育て支援を是非学んでいただきたい。今、最近いろんな本が出てまいりました。私も外国の子育て支援を読んで、初めてこの国の子育て支援の異常さというものに気づきました。それはどこが違うかというと、外国の子育て支援は、教育者としての親を支援するという所に眼目が置かれていることです。日本は労働者、働いている母親を支援する所に力点があって、働かない専業主婦の子育てを支援するという所には無関心なんです。それは問題です。

 例えば、デンマークは1980年代に女性の労働力率は80%を超えました。80年代の半ばに家庭生活はこれで良いのかと疑問視する声が上がって、政府は委員会を設置して、家庭生活と職業生活の調和プロジェクトというのを作ってですね、子供は親と緊密で安定した関係を持つべきであるというような項目を作った。合意事項を作ったんですね。そして家族責任という新しい理念を打ちたてて、これがヨーロッパ全体に大きく影響を与えました。子育ては家族の責任だという。

 今、上野千鶴子さんを始めとしてこういう言い方をしていますよ。育児はもはや家族の責任ではない。ヨーロッパは育児を家族の責任だと言い出して、日本は育児は家族の責任ではないと言い出した。家庭で育児することによって親と子の絆というものが結ばれてきた。これがある意味で世界の中で日本が唯一とは言いませんが、親と子の心の絆というものが、例えば離婚率にしましても、家庭の安定性は世界の中で日本は非常に優れたものを持って来てた訳です。ところが今どんどんこれが崩れています。母子家庭が広がって、そして母子家庭なのに子供が次々生まれて、保育所に預けられているという実態がここ数年全国で広がっています。私は幼稚園と保育所に今一番、講演会に行っているんですが、現場の保育士たちが悲鳴を上げています。この家庭崩壊という問題をどうするんだ。これはまさに内なる自然破壊に繋がるものです。親が親らしさを失っている。その事にも繋がるものです。

 ノルウェーやフィンランドでは在宅育児手当を支給できる法律が出来ました。日本では在宅育児手当なんてものはありません。デンマークでは5時には保育所から子供がみんな帰っています。オランダでは4時に子供は保育所から全員帰っています。日本はどうでしょうか。4時や5時に保育所にまだたくさんいます。6時、7時でも東京の場合たくさんいます。それは異常としか言いようがない。そして東京あたりでは、保育所に入って来ていきなり休みに入るという所があるそうです。それは遅くまで子供も付き合っているもんだから寝るのが遅いんですね。で、保育所に来た時にはもう疲れているんです。それで入って来るとすぐ寝ちゃうんです。親も働いて働いて疲れてる。子供も疲れてる。それが果たして幸福になる道なのかどうか。私たちは経済の効率、経済論にうつつを抜かしている内に幸福という物指しを失い始めているんではないか、というふうに考えずにはおられないんですね。

 経済企画庁の提言が、ある新聞にこのように出ていたんですね。「保育所整備は社会にとっても、お得ですよ」という題ですね。5歳まで子供を預ければ実際は1500万円税収アップと。保育所整備は社会にとっても、保護者、市町村などにも得との分析結果をまとめた。働く母親の支援策として提言した。子供を6歳まで預ける場合で母親の手取り収入が4550万円増え、市町村などの税収が1700万円増加し、それぞれの費用を大きく上回ると。これが僕の言う経済論です。「得」という感覚でどんどんこういう政策が進んでいる。そして子育ても効率化。そして面倒見てくれる人にお金を出せばいいと言い出した。親である必要はない。地域のだれでもいいんだと言い出した。育児の社会化。言葉はとても美しいです。しかし育児の社会化という名のもとで、果たしてどれだけの安定した愛情と信頼が子供に注がれるか。子供の立場から考えれば非常に問題があります。

 更に、もう時間はなくなって来ましたけれども、「世界子ども白書」を是非読んでいただきたいんですね。ユニセフが出した2001年版「世界子ども白書」です。冒頭にこう書いてあります。子どもが3歳になるまでに脳の発達がほぼ完了すると。もうこれ一言です。3歳までに脳の発達がほぼ完了するんだ。ならば3歳までに親がどう関わるかは、決定的な影響を与えるということです。「三つ子の魂百までも」と言ってきたことを、子ども白書は端的に指摘している訳です。そして次に0歳から3歳の脳の発達がいかに重要かということを詳しく書いてあります。そして脳内細胞の接合は生後3年間に爆発的に増殖すると。早期のケアや教育ほど重要なものはない。「消す事が出来ない刻印」という見出しで、この生後の数年間に受ける愛情に満ちたケアや養育、あるいはそうした大事な経験がないことが幼い心に「消す事の出来ない刻印」を残すことになると書いてあります。できるだけこの感受性期、ま、8才ぐらいまで。とりわ大事な胎児期、乳幼児期。その時期にはできるだけ母親が真心を込めてスキンシップをすることが大事だと。

 もちろん私は全ての女性を専業主婦に戻れと、そこまでは極言しません。せめて働きながらでもこの3歳ぐらいまではできるだけ子育てに専念できるように、もっと制度を充実させる必要がある。そして今まで胎児期というのはあまり注目して来なかったんですが、生後5日でもう親の言葉を認識しているということがわかりました。母親が幸せな気分でいることが胎児に決定的な影響を与えていることもわかりました。ということは、いかにお腹の中にいる胎児期や0歳児、とりわけ大事なのは0歳児です。そして1歳。小さい時ほど大事なわけですけれども、その時期に心施という、心を込めて心を尽くして心を伝えるということが、教育の一番大事な原点だと思っております。

 最後に皆さんに読んでいただきたいのは犬養道子さんの『男対女』という中公文庫ですね。モラロジ-研究所で時々、麗澤の大学に呼ばれるのか、生涯学習講座に呼ばれるのか知りませんが、犬養さんをよく呼んで講演会を催しておられるようでありますが、犬養さんがこう言っています。「思えば命を体内にはらみ、新しい人間をひとりこの世に送り出し、その人間を育て上げ、日々食べさせ生き永えさせ、内的生命をも開花させるということの何と恐ろしいまでに大きな仕事であることか。永遠に女性的なるものの賛歌はそこに含まれている。そしてそれは実在の賛歌でもある」と。更に「異なる存在としての両性の価値、男と女の両性の価値。限りなく大きなすばらしい価値」と、こう言っているんですね。「家事をリブ、ウーマンリブ論者が敵のごとくみなす、いわゆる日常の家事を奴隷的とするかしないかは、会社に働く男性が奴隷的となるかならぬかと同様それに携わる人間いかんに関わるのであって、仕事自体に関わるものではない。ジャガイモの皮をむき、毎日床掃除をしながらも、女は哲学者や思想家や歴史家などになれるのである」。長谷川三千子さんという方は大学の先生ですが、必ず家事をするためにあまり泊まられません。家事と仕事を両立さしておられますね。いかに日常の家事が大事かということを認識しておられて、これを実践しておられます。「女性の社会進出や社会的地位の向上、差別なき賃金などを論じるにしても、ただ男性を標準として戦いを挑むのではなく、男性と異なる女性の特質をより良く引き出す。もっと積極的具体的な発想法を打ち立てねばならない」。こういうふうに言っておられるんですね。

 つまり、女らしさとか男らしさというものの良さというものもたくさんあります。そして日本人はそれを大事にしてきた。男と女が敵対関係になるんではなくて、和合の文化を作り上げてきました。これは、今日後ろで販売していただいております『日本文化と感性教育』という本に詳しく書いてあります。日本人がどういうふうにそれを大事にしてきたかですね。それを損なわないように補完的進歩を遂げていくことが21世紀の課題になります。
 補完的進歩というのは補い合いながら進歩していくことです。これは今日私が申し上げました、綱渡りをする時に長いバランス棒を持つ必要があると申し上げましたが、男と女が補完しあう、これが必要です。陰陽というのは補い合う必要がありますから。そして男女同権というその制度システムは西洋から学びながら、男と女が補完の文化を、和合の文化を作り上げてきた日本のすばらしさをいかに結び付けていくか。日本人は結びの精神ということを大事にしてきました。今ほど結びの精神を現代的に展開していく必要がある時代はないと思います。結びというのは男と女が同質化することではなくて、男と女の違いを生かし合いながらお互いに補完、併存、そして和合の文化を作り上げてきたその良さをしっかりと守りながら新しい秩序を作っていくということではないかというふうに思います。

 最後に、恥の文化をなくしてしまったのは父性の喪失だと言いましたが、もう1つわが国が失っているのは察する文化です。親が子どもの気持ちがわからなくなってきました。察する文化が崩壊しつつあります。それは母性の欠落というものが根本にあると考えます。母親が子の気持ちがわからなくなってきた。

 自分が小さい頃家出をしようとして、お母さんに気づかれないように家を出ようとしたら、お母さんは息子の様子がおかしいのを察知していて赤飯を炊いた。お母さんは本当は息子に家出をして欲しくなかったんですけども、息子の決意が固いのがわかっていたので赤飯であえて送り出そうと、祝って送り出そうとした。そのお母さんの気持ちが痛いほどわかったので赤飯を食べることができなかった。涙がぼろぼろ流れてですね。そこでお母さんはそれを見て、おにぎりにしてこれを持って行きなさいと渡してくれた。そのお母さんの気持ちが自分の一生を支えてロータリークラブの会長になったという方が、会長になった記念にパーティーで赤飯のおにぎりを皆さんに配ったという実話があるわけです。それはお母さんの察する気持ちが根本にあった訳ですね。

 今、多くの親たちは高学歴です。でも子どもの気持ちがわからない。察するという、つまり母性ですね。親心崩壊と言いましたが、父性も母性もだんだん崩壊しつつある。これが実はこの国の最大の危機ではないかと思っています。横田めぐみさんのご両親と対談する機会がありました。その時に25年の空白を埋めた、拉致家族の空白を埋めたのは親と子の絆でした。そして曽我ひとみさんがメモに書かれたように、故郷の山や川や谷が私の心を癒してくれたという意味のことを書いておられます。つまり故郷のぬくもりですね。共同体というものが持っているぬくもりですね。それがこの日本の良さだったんです。だったと過去形にしているのは、まさにその親と子の心の絆や故郷の温もりが今、崩壊しつつあるからです。これが私の言う、静かな文化大革命なんです。

 男女共同参画が本来の趣旨から逸脱してジェンダーフリーという方向に進むと、それは家族を破壊し、歴史を否定し、共同体を破壊せしめていく文化大革命。しかもその文化大革命は静かに潜行しますから、気づかないんです。文化は生きかたや感じ方です。男らしさ女らしさという日本人の感性は生き方や感じ方です。それは私たちに大きな影響を与えつつあります。

 前にも申し上げたことがあると思いますけれども、家庭科の教科書の中に「床の間や縁側をなくして得た空間によって、豊かな空間の中で個室ができて豊かな生活ができるようになった」と家庭科の教科書には書いてあります。私はそれを読んだ時に、夏目漱石の「近代の日本の歴史は文明を得て文化を失った歴史だ」と喝破した言葉を思い出しました。その通りじゃないか。確かに豊かな個室が生まれて量の文明は豊かになりました。しかし質の文化、日本の精神文化というものは、縁側をなくし床の間をなくしてどんどん、どんどんなくなっていきました。

 先日、30代の若者に『叱られて』という童謡を知っていますかと聞いたら、誰も知りませんでした。小さい子どもに子守唄を歌うということが、童謡を親が歌ってやるということがどんなに子どもの心を育てるか。私の家に、あるハーモニカの名人がやって来て1時間童謡を演奏されて帰って行かれました。その方は全国に今、親守り歌を広げようと提唱しています。自分は子どもの絵本の専門家であったんですが、はっと気づいたら、人間が死んでいくのは生まれる時の子どもと逆じゃないかと。最後は痴呆症になって老いて病んで死んでいく、その親たちに子どもが心を込めて歌を歌ってやる必要があるんじゃないか。そんなことに気づいたというんですね。童謡というものを今の30代の若者は知りません。日本の心というものは童謡の中にたくさん現れていますが、親がそれを知らない。それを伝えようという意識もない。躾をしろと言っても、どういう躾をして良いかわからないと言います。

 そういうふうに考えていきますと、私たちが戦後の教育の中で見落としてきた国民教育という視点。日本の文化というものをしっかり受け継いで、日本人が大事にしてきた生きかたや考え方というものを子どもたちにしっかりと伝えていくという教育が大事だ。そしてそれは良い意味での男らしさや女らしさというものを失わないようにするということにも繋がるわけであります。

 時間になりましたのでこれで終わらせていただきますが、私が今日一番申し上げたかったことは、男女平等というものとジェンダーフリーは全く違うということ。ジェンダーフリーは男女平等に反するものであるし、男女共同参画社会を阻害するものであります。活力ある、豊かで活力のある社会を作り上げる為には、男女の特性というものをしっかりと生かし合って、良い意味での男らしさ女らしさというものをしっかりと教育の中で教えていくことが必要だと。アイデンティティーの形成にそれは必要不可欠だと。父性、母性、男らしさ、女らしさ、そういうものをもう一度教育の原点から見直そうということを申し上げて、私の話とさせていただきます。ありがとうございました。

 これは第1回講演会の1年前に松山で高橋史朗先生が講演された記録(平成15年8月22日)でございます。内容は全く同じ趣旨でございますので、ご紹介いたしました。



会長青井美智子
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